みすぼらしい追悼式
数日前、あるテレビ局が春川にあるエチオピア韓国動乱参戦記念館を紹介した。出演者は「わが国に食料や紙のような生活必需品がなく外国の援助を受けていた時、エチオピアは6・25(韓国動乱)に参戦した」と語った。当時のエチオピアは強国ではなかったが、わが国よりはましだった。皇帝は「自由を守るために」国連軍の一員として軍隊を派遣した。3個大隊6037人が派兵され、121人が戦死した。そのエチオピアが社会主義の一党独裁体制を経て今日、世界の最貧国になった。年間の輸出額がわが国の400分の1にとどまっている。
エチオピアの軍事援助を受けるほどに弱小国だったわが国は世界の10位圏に入る経済強国となった。自由主義体制のおかげであることを否認することはできない。共産主義体制を固守する北朝鮮と比較すれば現代史における(わが国の)勝利は明らかだ。エチオピアを貶めるわけではないが、国家の興亡盛衰において指導者(の役割)は決定的だ。
共産主義と戦いつつ自由大韓民国をあらしめた指導者が他ならぬ李承晩元大統領だ。民族史観の観点から見ると過ちがあった。独裁者であり、親日派の主導で建国した。進歩的な学派は南北分断に加え、対米従属の責任を彼に帰そうとする。しかし、彼の建国が行われず、韓米相互防衛条約が締結されず、安保体制強化の努力をせず、エリートと産業戦士を養成しなかったなら、果たして今日の大韓民国が存在しただろうか。
「李承晩建国大統領逝去52周忌追悼式」が今日、国立顕忠院(国立墓地)で開催される。政府からは国家報勲処の、しかも処長でも次長でもないソウル地方報勲庁長が出席する。初代大統領の追悼式としてはみすぼらしい。世界10位圏に入る豊かな国で、こんなことはあり得ない。昨年は国会議長と政治家が多数出席したので、隔世の感を禁じ得ない。関係者は「政権が交代して雰囲気が変わった」と述べている。
丁世均・国会議長は昨年、51周忌追悼式で「新しい世界を夢見た先覚者の生涯」だったと、李元大統領を回顧した。文在寅大統領は2年前、新政治民主連合代表だった時に李承晩墓域を参拝し、こう語った。「国民統合に役立てばという心で参拝を決心した」。立派であろうが稚拙であろうが、それは全て我々の歴史だ。自分の顔に唾を吐くようなことは止めるべき時ではないか。
(7月19日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。