NATO軽視するトランプ氏、集団防衛の再確認を拒否
どうしたものだろう。トランプ大統領は先週の北大西洋条約機構(NATO)での演説で、一加盟国への攻撃は全加盟国への攻撃とみなす第5条をはっきりと再確認しなかった。
これは、大変なことだ。トランプ氏は、NATO訪問中にNATOへの関与を確認しなかった。すでに、副大統領、国務長官、国防長官を送って、第5条の順守を確約したのではなかったのか。
いずれにしても、米国が核による壊滅的な被害を受ける危険を冒して、エストニアのためにロシアと実際に戦争するなど誰も考えない。
だが、大切なのはまさにこの点だ。抑止力というものは、非常に繊細で、厄介で、文字通り信じることはできないが、軽々しく扱うこともできないからだ。米大統領が、これ見よがしに第5条の順守を拒否して、既にそれほど信頼されていない抑止力の信頼をさらに損ねるようなことをすることがどうして、そんなに衝撃的なのか。
抑止力は、もともとそれほど信頼の置かれていないはったりだ。冷戦の最中、アイゼンハワーやケネディのように毅然(きぜん)としていた大統領が、「大規模な報復」つまり全面核戦争でロシアを脅した時、ベルリンのためにニューヨークを犠牲にする覚悟はあったのだろうか。
確かなことは誰にも分からない。アイゼンハワーにも、ケネディにも、ソ連にも誰にもだ。しかし、まさにこの不確かこそが、敵の攻撃を押しとどめ、70年にわたって世界の平和を守ってきた。
抑止力は、敵国がレッドラインを越えれば、戦争になるという確証に100パーセント依存しているわけではない。リスクを考慮に入れて、戦争になるかもしれないと考えるだけで十分だ。70年間それで十分だった。
◇抑止力維持へ全力
そのため国の指導者らは、抑止力を維持するために全力を尽くしてきた。前線に小規模の兵力を展開するトリップワイヤもそのためだ。冷戦当時、米国はドイツに部隊を駐留させ、大量の戦車を持つソ連の陸軍に対抗させた。現在は韓国に2万8000人が駐留し、非武装地帯近くに1万2000人がいる。
なぜ駐留させるのか。侵攻を阻止するためではない。できない。阻止するために必要な武力を持っていない。残酷な話だが、この部隊はそこで死ぬためにいる。これは、同盟国に侵攻すれば、まず多数の米兵を殺さなければならないという敵国に対するメッセージだ。米兵が殺害されれば、米軍は全面戦争へと動くことになるぞというメッセージだ。
前線への兵力展開は危険であり、無慈悲だ。それでもこのような手段を取るのは、紙に書いた約束は疑わしく、トリップワイヤは何かあれば自動的に発動されるからだ。抑止力強化のためだ。
言葉の上でも同様だ。だからトルーマン以後、米大統領は常に、力強くNATOへの抑止力の誓いを確認してきた。トランプ大統領まではだ。
トランプ氏が抑止力となることを約束しなかったことは問題だ。だが、過去の言動を見ればさらに問題だ。トランプ氏はNATOを軽視し続けてきた。選挙戦中は時代遅れだと言っていた。就任演説では、同盟国を米国の富と寛容な姿勢に頼って生きる、ずる賢い寄生生物と批判した。トランプ氏の相談役の一人ニュート・ギングリッチ氏は、「エストニアはサンクトペテルブルクの郊外にある」と言った。まるで、バルト諸国に対するロシアの企(たくら)みは全く理不尽ではないと言っているかのようだ。
◇公平な分担を要求
そればかりかトランプ氏は、米大統領として最初のNATOへの訪問のハイライトであるこの演説の多くを、公平な分担をしていないと加盟国を非難することに費やした。その指摘に間違ったところは何もない。従来と違うところもない。半世紀前、マイク・マンスフィールドがNATOのただ乗りに反発し、欧州の米兵の大幅な削減を求めた。
米国はこれを繰り返してきた。だが、非難するのなら、せめて抑止力の再確認もすべきだ。ロシアが侵攻し、その脅威が高まっているのだから。準備されていたトランプ氏の演説の原稿には再確認が明記されていたのだから。政府当局者は、演説で第5条を確認すると伝えていた。皮肉なことに、この演説がなされたのは、米同時多発テロ後、米国の支援を受けて同盟国が行った最初で唯一の第5条発動をたたえる式典だった。
しかし、トランプ氏は挑戦的な態度で、意図的に集団防衛の再確認の文言を避けた。米国は常に第5条の約束を守る、この言葉が言えなかった。
トランプ氏がこの魔法の言葉を口にしていれば、ロシアが、クリミアでしたようにエストニアに武装勢力「リトルグリーンマン」を送り込んだ場合、米国が反撃してくれると誰もが確信しただろう、などと言いたいわけではない。しかし、トランプ氏がこの言葉を口にしなかったことで、NATO同盟国へのロシアの侵攻に対して米国が真剣に対応するとプーチン・ロシア大統領が考える可能性は下がった。
ドイツのメルケル首相は先月28日、名前は出さなかったが、トランプ氏の欧州訪問を受けて、欧州はもう他国を頼りにできなくなったと語った。欧州がこれまで完全に他国に依存してきたということではない。今は全くできないということだ。つまり、米国の抑止力が弱まったということだ。抑止力が弱まったということは、不安定、判断ミス、挑発、さらに悪いことが起きやすくなったということだ。
いったい何のためにこのようなことをするのか。
(チャールズ・クラウトハマー、6月2日)