一度ご飯を食べよう!


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 『ひとりで食事をするな』(邦題『一生モノの人間力』)という本がある。米国のコンサルティング専門家キース・フェラッジとタール・ラズが書いた人生の成功法に関する本だ。

 内容はこうだ。生きるということは出会いであり、ネットワーキングだ。一緒に食事をすることが人間関係の出発だ。多くの人々と一緒に食事をして、周りを愛する人たちで満たすことが成功ということだ。一緒に食事をするということは飢えを満たす以上の意味がある。初めて会った人間と食事をすることによって、ぎこちない雰囲気を和らげることもでき、疎遠になっていた関係を回復する。だから社会生活を行う人たちが多く使う言葉の一つが、「一度ご飯を食べよう!」だ。

 盧武鉉政府で政務首席秘書官を務めた柳寅泰前議員は文在寅大統領に「ただの1回でも“ぼっち飯”はするな」と助言した。文大統領は誰とでも交わる性格でない上に、民情首席秘書官だった当時、よく“ぼっち飯”をしていたといわれている。その懸念をぬぐおうとでもするかのように、文大統領の破格の“食事政治”に関心が集まっている。

 青瓦台(大統領官邸)の職員たちと内部食堂で3000ウォンの昼食を食べ、記者たちとは週末の登山の後、参鶏湯(サムゲタン)を楽しんだ。5・18光州民主化運動記念式に出席した後には、5・18有功者が経営する食堂で8000ウォンのユッケ・ビビンパを食べながら遺族たちを慰労した。与野党の院内代表を青瓦台に招請しては、上席のないラウンドテーブルで一緒にビビンパを食べて国政での協力をお願いしたという。食事が疎通とガバナンスの手段となっているのだ。

 朴槿恵前大統領はよく“ぼっち飯”を食べたという。青瓦台で務めていた料理長は「ひとりで食べることが好きだった。地方への出張があっても、食事はひとりで取ることを望んだ」と証言している。不通と関連させる見方が多い。“ぼっち飯”でなく各界各層の人たちと一緒に食事をしながら疎通していたら、悲劇的な国政介入事件は起こらなかったかもしれない。

 最近、3食全てひとりで食べる青年層(19~29歳)が10人に1人になっているという。ぼっち飯は“無気力世代”“イセンマン”(「今度の生は失敗した」の略語)で代表される世知辛い生き方をする青年たちの自画像だ。新政府では青年たちが家族など周辺と一緒にご飯を食べることが多くならなければならない。“自発的な孤立”だという人もいるが、“ぼっち飯”は孤独と断絶に近い。一食のご飯を単なる飯とだけ見てはならない。

 (5月23日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。