逆風の中で新政権発足

Charles Krauthammer米コラムニスト チャールズ・クラウトハマー

就任前から大統領気取り
焦点定まらない移行チーム

 新たに選出された大統領は就任後の100日、好意的な扱いを受け、少なくとも高邁(こうまい)な理想を掲げることが許されてきた。だが、ドナルド・トランプ氏の蜜月は、就任宣誓もまだしていないのに終わってしまった。

 次期大統領は就任までの期間、おとなしくしているものだ。トランプ氏はまったくおとなしくしていない。選挙から数週間で、オバマ大統領から大統領職を事実上奪い取り、これ見よがしに、米国内の雇用を維持するよう企業と取引したり、40年続いている対中政策に異議を唱えたり、情報機関をおおっぴらに批判したりした。大統領が一度に2人いるはずはないのだから、この1カ月余りの大統領はトランプ氏だ。

 結果は定量化可能だ。穏やかで、変化に期待が持たれていた11月17日から20日に行われたキニピアック調査では、トランプ氏への支持は確かに上がった。だがそれは続かなかった。最新のキニピアック調査では、もともと高くなかった選挙前の水準に戻った。

 理由は幾つかある。まず、トランプ氏の勝利の正当性をどうしても認めようとしない左派の存在がある。「私の大統領ではない」と叫ぶデモ参加者らのことばかりではない。民主党の有力者からも、得票数では負けていたとか、コミー連邦捜査局(FBI)長官のせいだとか、ロシアがやったとかと選挙結果の正当性を否定する発言が次から次に出てきている。

 第2は、トランプ氏の勘と性向。注目されたいあまりに活発に活動する。ニュースを支配したいために、ほとんど衝動的にツイートを繰り返す。それによって、ほとんどやむことなく全米で話題の中心となるが、トランプ氏にとって利益になることばかりではない。

 やられたらやり返さずにはいられない、それだけだ。トランプ氏のツイートは、メリル・ストリープさんのゴールデン・グローブ賞にとって計り知れないほどの宣伝となった。テレビ番組「アプレンティス」の視聴率が、「視聴率マシンDJT」である自身が出演していた時と比較して低かったとアーノルド・シュワルツェネッガー氏を揶揄(やゆ)したが、トランプ氏の評判が下がる一方で、シュワルツェネッガー氏の対応は共感を呼んだ。

 このような行動は就任後も変わることはなさそうだ。トランプ氏にとって、侮辱されて反撃しないことは、認め、降伏したことになってしまうからだ。

 要するに、規律のない行動が染み付いてしまっていて、話題を次々に無秩序に変え、それらには関連も、根拠も、戦略もない。承認公聴会が幾つもあり、ロシアのハッキング問題が持ち上がった1週間の間に、ロバート・ケネディ・ジュニア氏と会見した。同氏は、反ワクチン活動家として知られ、ワクチンが自閉症を引き起こすという説を支持しているが、この説は今では間違いとされている。

 共和党の討論会の頃から、トランプ氏がこのあいまいな領域に少し手を出していたことは知っていた。しかし、選挙キャンペーンの中で出てくるもろもろの中の一つにすぎず、いずれ消えてしまうと思われていた。だがそうはならなかった。

 これはいいことではない。ワクチンが自閉症を引き起こすという説はもともと、医学誌ランセットに掲載された1998年の論文で取り上げられ、その後、間違いであることが分かり、ランセットはこの論文を撤回した。有力研究者のケネディ氏は、対応がひどかったために、医師免許を剥奪された。

 ケネディ氏によると、トランプ氏に、ワクチンの安全性に関する委員会の委員長になることを求められたという。政権移行チームはこれを否定したものの、委員会の構想は存在すると明らかにした。いずれにしても、ワクチンの信頼性へのダメージは避けられない。狂信的な反ワクチン派はワクチンの弊害を検証するよう求めている。トランプ陣営が間接的に認めたことになり、大変な悪影響を及ぼす。ワクチン接種は、これまでのどの方法よりも多くの子供の病気の予防になり、多くの命を救ってきた。差し迫った問題がほかにも数多くある中で、どうして今これなのか。

 ワクチン問題のほかにも、焦点が定まらず、でたらめな移行チームをめぐる驚くべき問題は数多くある。これらの、すでにトランプ政権になったかのような振る舞いに苛(いら)立ちを覚える。

 それに対し、8年前のオバマ大統領の就任式は強い高揚感に満ちていた。大統領が就任時にこれほど純粋な善意で迎えられたのは、ジョン・F・ケネディ大統領以来だ。

 しかし、今回がそのような幸先の良い政権スタートとならないことは、すでに分かっている。今週、それを目の当たりにすることになる。10日夜、オバマ氏は大統領として最後の演説を行った。希望に満ちたスタートを切った政権の失敗ばかりが際立つ演説だった。2008年にほとんどそのまま使えそうな演説だった。演説の終わりまでが「イエス・ウィー・キャン」と同じだ。

 この2期がいかに空虚だったかを明確にした演説だった。図らずも、歴史の中の幕間にすぎなかったことを露呈した。

(1月13日)