チェスをオリンピック競技に
NYで世界選手権開催
機械ではできない醍醐味
ケイティ・レデッキー選手の成績にわくわくし、女子体操選手の美しさにほれぼれし、リオの観客が米国のサッカー選手ホープ・ソロを「ジカ、ジカ」と叫んでからかうのを見て驚いた人もいるだろう。ジカ熱ウイルスの叫びがスタジアムを揺さぶったのは初めてだろうという指摘もあった。しかし、出来合いの、感動的な録画オリンピック放送は取りあえずやめにして、本当のスポーツニュースを知ってもらいたい。
11月11日にニューヨークで世界チェス選手権が始まると発表されたばかりだ。
読者は鼻で笑うだろう。私は何年もの間、エンターテインメントへの自分の趣味に自信が持てなくなり、困っている。だが、くじけはしない。
チェスは確かにオリンピック競技ではない。しかし、オリンピック競技であるべきだ。1984年に挑戦者ガルリ・カスパロフ氏はチェス選手権で17戦連続して引き分けへと持ち込んだ。各試合約5時間、耐えがたいほどの集中が求められる。世界チャンピオンのアナトリー・カルポフ氏は肉体的にも、精神的にも激しく消耗したため、ソ連政府は世界チェス連盟に働き掛けて試合をやめさせた。そのおかげで、ソ連が大切にしていたカルポフ氏は、図々しく、発想の自由な、片親がユダヤ人のカスパロフ氏にタイトルを奪われずに済んだ。
私が最初に参加したトーナメントは、2002年アトランティック・オープンだった。週末、一日中プレッシャーを感じ、カルポフ氏のような緊張性昏迷(こんめい)状態に近い状態になった。これが最後のトーナメント参加となった。それ以来、楽な「早指し」チェスばかり指している。賞金150㌦の小切手は、二度とトーナメントには参加しないという証しとして、額に入れてある。現金化されることはない。
運営組織の世界チェス連盟は、腐敗ぶりでは国際オリンピック委員会(IOC)にはかなわないが、奇異という点ではIOC以上だ。ロシアのカルムイク共和国元大統領のキルサン・イリュムジーノフ会長は、ロシア当局のたいこ持ちで、2015年に米財務省に制裁を科されている。頭がおかしく、黄色い服を着たエイリアンに誘拐されたと主張している。
なのにどうして、ニューヨークで行われる選手権を心待ちにしているのか。チェスの試合を見に行く人はいるのだろうか。
私は行く。実際に2度行っている。1990年代にニューヨークで選手権が行われた時だ。2人の友人とワシントンから私の運転で行った。私たちならやりかねないと思っていた友人たちも驚いていた。
試合をじっと座って見ていると思っていたようだ。実際は、グランドマスターの部屋に行き、世界のチェスの名手らが表示盤の周りに群がり、間の抜けた手に興奮して解説を加えたり、9手で反撃する素晴らしい方法を披露したりしていた。
友人らと私は、周りにいる名人らが繰り出す目のくらむような説明についていくのが精いっぱいだった。平均台の優雅さや棒高跳びの美しさを否定する気はないが、これは、若いころにはよくあったことだが、極めて刺激的な体験だった。
21年間待って、ようやくあの刺激を再び体験できるかもしれない。しかし、今回、選手権に行くと決めたのには特別な理由などない。当時は冷戦の緊張の中にあり、試合の展開から目が離せなかった。1972年のボビー・フィッシャー(米)対ボリス・スパスキー(ソ連)戦は世界が注目した。
現在の世界チャンピオンは、25歳のノルウェー人マグナス・カールソン氏だ。フィッシャー氏と違い、極めて普通の人だ。勝者としての名誉を受け入れ、ハンサムでアパレル企業のコマーシャルにも出ている。
挑戦者はロシアで人気の高いセルゲイ・カヤキン氏だ。ニューヨーク・タイムズ紙によると、プーチン大統領の強い支持者で、クリミア侵攻を支持し、優秀な米国人2人を破ってこのタイトル戦に挑む。
1972年の米国とソ連の対戦とは違う。しかし、プーチン氏がバルト諸国とスカンディナビア諸国に侵攻をちらつかせて脅しをかけたことを考えれば、2016年のノルウェー・ロシア戦には、それはそれで見どころがある。
フィッシャー・スパスキー戦以降、チェスの高邁(こうまい)な雰囲気が失われたことは確かだ。1997年5月11日には、IBMのディープブルーが、過去最高のチェスプレーヤーとされていたカスパロフ氏を破り、チェスの威厳はさらに失われた。
今では、人対機械の対局のことで頭を悩ます必要はない。人は最高のソフトウエアには勝てない。究極の世界戦はコンピューター・プログラム同士で行われる。機械は汗をかかない。
機械は、努力したり、苦悩したり、歓喜したりすることはない。人間にはそれがある。だからこそ、オリンピックを楽しみ、選手らに声援を送る。オリンピックを楽しみ、次は11月11日のチェス選手権だ。
(8月12日付)