金バッジの抗弁
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
近ごろ君たちが住む汝矣島の政界で私が論争になってるそうですね。一昨日、白在鉉・国会倫理特別委員長がこんな提案をしたと聞きました。「国会議員の特権を放棄する象徴的な意味で議員の金バッジを取ろう」と。金バッジが責任と奉仕の象徴でなく、特権と礼遇の象徴のように映っているというのが、かの方の憂慮のようです。
りっぱな考えではありますが、私にも言い分があります。世の人々に手厚いもてなしを受ける私が、どうして韓国の地でこんな冷遇を受けなければならないのでしょうか。実際、君たちの襟についているバッジは金バッジとは言えません。銀が99%で金はたったの1%。銀の上に金を少し塗っただけ。それを金バッジと呼んで、悪口まで言い立てるとは、何事ですか。
考えてもみてください。私がどうして審判の断頭台に上らなければなりませんか。本当に処刑台に上るべきは君たちが享受する特権です。君たちの特権は200以上だと聞きました。億がつく年俸と多額のボーナス、9人の補佐陣は基本で、電話をタダで使い、鉄道と飛行機も無料で乗り回しています。空港の貴賓室を自由に利用し、在外公館では極めて手厚いもてなしを受けていますね。
民意の殿堂だという汝矣島の国会議事堂は実際は特権の殿堂です。ドーム形の本館に行ってみましょう。君たちが主人だと持ち上げる国民は正門に行くこともできません。本館の広々とした正門は金バッジをつけた君たちだけの専用通路で、身分証を持った国会の職員でも横の通用口でのみ出入り可能です。一般国民はそれすら不可能で、建物の裏側にぐるっと回って面倒な手続きを済ませてからやっと特権の殿堂に入れるのです。
昔、孔子の弟子が近ごろの政治家について問うと、孔子は「さて、一斗(約18㍑)枡程度の度量の狭い人を語ってどうするのか」と嘆いたそうです。儒教の伝統が深い韓国政治の実情はどうでしょうか。君たちの言行と了見を見れば、一斗枡どころかコップで量らなければならないくらいです。
君たちがしなければならないことは責任と奉仕の象徴である金バッジを取ることではなく、全ての政治特権の悪徳が始まる特権意識を取り除くことです。自分を低くして国民を高める“下心”で内面を満たすことを願います。どうか罪なき私を試みに合わせないでください。私はあなた方の襟にしっかりついて、今後、あなた方の言行をひとつ残らず見守ろうとしていたところです。
(6月21日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。