『竹泉稿』の里帰り


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 旧韓末(朝鮮末期~大韓帝国)の改革派政治家、朴定陽が残した『美俗拾遺』(美は美国=米国のこと)はわが国初の西欧見聞記だ。初代駐米全権公使としてワシントンに赴任した彼が1888年1月から11月まで見聞きしたことを記録したものだ。彼は自主外交を遂行して清の反発で召喚され、後に総理大臣などを歴任して改革を推進したが守旧派の妨害で失敗した。

 『美俗拾遺』は高宗(朝鮮26代王、大韓帝国初代皇帝)に捧(ささ)げる報告書的な著述で、米国の地理、歴史、制度、文物が詳細に紹介されている。兪吉濬が翌年脱稿した『西遊見聞』とよく比較される。2冊とも富国強兵の妙策を探すため西洋の文物を探ることに共通点がある。しかし、ハングル漢字混用体の『西遊見聞』は本として出版されて広く読まれたが、純漢文体の『美俗拾遺』は原稿のまま高宗と高位官吏たちの間でのみ読まれたものと推定される。

 『美俗拾遺』を見ると、朴定陽の対米認識はかなり好意的だ。米国を「世界第一の富国」と評価し、その原因が「内修の務実」にあると言っている。政府が産業保護政策を実行し、官と民が職務を忠実に遂行しているので米国は繁栄するというのだ。

 このような分析は高宗が米国に好感を持つ一因となったとか。上下貴賤のない米国民主主義についての説明も興味深い。「多くの国民は生まれた時から自主を得るという。自主というものは、誰でも同じように天が賦与したものであり、貴賤と尊卑はすべて外側で成されるものなので、どうして自主を毀損することができようか」。

 『美俗拾遺』は朴定陽の著述集『竹泉稿』に収録されたまま長く埋もれていたが、歴史学者の文一平によって日の目を見るようになる。1934年の文氏の日記に、朴氏の子息から『竹泉稿』を借りて書き写したという内容が出てくる。彼は朴氏の筆力を称賛する。「各地域の伝説、奇譚と、見聞きしたことを記すことは、普通の文人が到達できることではなかった」。文氏は同年に執筆した『韓美五十年史』の中で『竹泉稿』の存在を世に広く知らしめた。

 文化財庁、国立文化財研究所、文化財保存科学センターと国外所在文化財財団が海外にあるわが国の文化財の保存と復元のために了解覚書を締結し、最初の事業として25巻、18冊からなる『竹泉稿』の原本を保存処理する。遅くはあるが幸いだ。処理の過程で複製本を作り、来年春に開館する駐米大韓帝国公使館博物館に展示する予定だ。『美俗拾遺』が誕生の地に戻るわけだ。実に意義深いことだ。

 (3月25日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。