天皇・皇后両陛下のフィリピン御訪問
「心と心」の絆を大事にしよう
天皇、皇后両陛下がフィリピンを訪問され、両国の戦没者160万人を慰霊されている。
大戦の海外最激戦地だったこの国は、戦後しばらく、最も激しい反日国だった。だが、その間に、キリノ大統領による日本人戦犯全員恩赦の感動的な歴史もあった。モンテンルパ刑務所の死刑囚が作詞、作曲した歌謡曲「ああモンテンルパの夜は更けて」の曲の哀しさが、マニラ市街戦で妻子4人を殺された大統領の心を動かした。その裏に、大統領の心に働きかけた日本人らの努力もあった。
その国を、26日から天皇、皇后両陛下が訪問され、両国の戦没者を慰霊されている。
フィリピンは今や、日本の最友好国の一つだ。外務省が一昨年、東南アジアで行った世論調査で、フィリピンは「日本との友好関係」を認める答えが98%と、最高だった。英BBC放送が毎年20カ国以上で行ってきた「各国影響力評価」調査でも、日本への評価が高い1、2位は、フィリピン、インドネシアだった。
フィリピン大学教授が新聞で、「戦後の発展に、日本の政府開発援助(ODA)が重要だった。対日関係は経済重視で改善された」と語っていた。一昨年までのODA累計は3兆円弱。対インドネシア、中国、インドに次ぐ。
だが、それだけではだめだったろう。
東南アジアとの関係では、1974年、青天の霹靂(へきれき)の出来事があった。田中角栄首相が4カ国を歴訪した際、タイ、インドネシアで、猛烈な「日本の経済侵略」反対デモ、暴動に見舞われた。ジャカルタでは日本車200台が焼き打ちされた。
衝撃を受けた日本政府は、77年の福田赳夫首相歴訪の折、マニラで「福田ドクトリン」を発表、「東南アジア各国と『心と心』の信頼関係を構築する」と宣言した。
私は、78年にタイで開催されたアジア競技大会を現地取材したが、常に日本より相手への声援が多いのでガックリした。「他国選手団は地元の学校を訪れ交流もする。日本チームは企業と同じ。メダルばかりとり、技術を伝えようとしない」との批判も聞いた。この時点では、まだ「心と心」ドクトリン効果も現れていなかった。
それが、80~90年代に変わった。
98年、バンコクでまたアジア大会が開かれた時、私は現地に行った後輩記者から、「日本選手の人気がとても高く、大勢の若者が日本選手団のプログラムを求め、記者団も追っかけにあった」と聞き、驚いた。
ある討論会でこの大変化の話をしたら、別の出席者が「日本が『陰徳』を積んだ結果だ」と評した。
当初は、政府は「心と心」などと簡単に言うが、一般には広がり難いだろうと思った。だが、その後、日本企業やNGOや観光客が、自主的に、自然に実践し、それが相手側にも伝わった。
「陽徳」と「陰徳」、ハードとソフト、経済協力と人的交流。二つの歯車で関係が変わった。
在日フィリピン人は今22万人余りで、中国人、韓国・朝鮮人に次ぐ。日本人の父親が無責任に姿を消した日比混血「ジャピーノ」の問題もあれば、買春新記録を樹立した元中学校長もいたが、人的交流全体が陰徳のパイプに違いない。
しかし今、私たちは東南アジア諸国の日本への支持や友好を、半ば空気のように、当たり前に感じ過ぎてはいないだろうか。
どんな問題でも、中韓米の反応と違い、東南アジアの反応は気にしない。天皇、皇后両陛下の御訪問が、「心と心」関係をさらに強靭(きょうじん)にし、日本人が空気の重みを改めて認識する機会となってほしい、と思う。
(元嘉悦大学教授)