宇宙開発の民営化に期待する
発展を邪魔した政治家
火星への入植や宇宙観光も
【ワシントン】人それぞれ見方、考え方は違うものだが、一致できるものもある。2015年は惨めな年だった。喜ぶべきものがあるとすれば、リンカーン・チャフィー氏と、冥王星への接近・通過だろう。航空分野でも未来に期待できる大きな進展があった。
12月21日にイーロン・マスク氏のスペースXは、11個の人工衛星を軌道に放出し、15階のビルに相当する高さのブースターロケットがケープカナベラルの着陸場に垂直のまま、無傷で帰還した。6000万㌦のこの巨大なマシンの帰還を成功させた。従来のブースターロケットは、燃え尽きるか、海に沈んでいった。
再利用可能ロケットの誕生だ。その1カ月前には、ジェフ・ベゾス氏が創設した民間企業ブルー・オリジンが、周回軌道には到達しなかったものの、自社のブースターロケットを発射、着陸させた。ベゾス氏は、アマゾンの最高経営責任者(CEO)であり、ワシントン・ポスト紙のオーナーでもある。どちらがより重要かはさておき、この二つの出来事が、宇宙飛行の新時代を開いたのは間違いない。
マスク氏は、再使用可能ロケットで宇宙に行くコストは何百分の一に削減できると予測している。当然ながら、これは、発射で発生した損傷やストレスによって、修復作業にどれだけの費用が掛かるかにかかっている。それほど修復に費用が掛からず、マスク氏の言っていることが1割ほどでも正しければ、再使用可能ロケットによって、宇宙飛行の経済に革命的な変化が起きる。
これによって宇宙開発は民間の手に渡り、商業化が進む。つまり、宇宙旅行は、大統領、議会、航空宇宙局(NASA)などによる血の通わないお役所仕事から解放される。その未来は、やる気満々で、資金力があり、ビジョンを持った企業家のような、多種多様な独立した人々が参加する市場での競争によって決められる。
だが、企業が政府から完全に独立しているわけでもない。スペースXのファルコン9が着陸したのは、空軍のアトラスロケットが使用していたケープカナベラルの発射場だ。そればかりか、これらベンチャー企業の初期費用は、宇宙ステーションへの補給などNASAとの契約に一部頼っている。
しかしこれは、1世紀前の航空産業の発達と大して変わらない。エアショーのチケットや海峡横断の賞金だけではとてもやっていけない。よちよち歩きの航空産業を後押ししたのは、政府との契約だった。郵便や爆弾の輸送などに使われた。
この新しい宇宙産業の時代の中でまず、宇宙飛行を実行できる国としての米国を取り戻す。もちろん優れたロボットによる探索も進められているのは知っている。しかし、NASAのスペースシャトルが、後継機を開発しないまま引退したため、米国は人間を宇宙に運ぶ能力を喪失した。
そのため、宇宙飛行士を地球の低軌道に送るには、1960年代の技術でできたロシアのソユーズを借りなければならない。1回8200万㌦だ。だが今は、民間2社が、早ければ2017年にも宇宙飛行士を宇宙ステーションに送る契約をNASAと交わしている。
しかし、本当に目指しているものは地球周回軌道のさらに先にある。すでに誰もが、宇宙ステーションは大変な間違いだと認めている。ミッションの探求に費用ばかり掛かる無用の長物ということだ。長期間にわたって無重力にさらされた際の生物学的影響の研究が主な成果だ。それは、スカイラブでもできた。低コストの宇宙ステーションだが、政界の長老らの決定で40年前につぶされてしまった。
民営化が進めば、このような決定は政府だけのものではなくなる。オバマ大統領は就任した時、2020年までに再度、月に人を送ることを計画していた。しかし1年後、月ではなく小惑星に行くことを決めた。その理由は分からない。
だが今後は、技術と経験、さまざまなビジョンを持つ民間企業が今後の方針を決める。マスク氏は、火星への入植を、ベゾス氏は「何百万人もの人々が宇宙で住み働く」ことを、リチャード・ブランソン氏はバージン・ギャラクティックによる宇宙観光を目指している。ブランソン氏はすでに1飛行25万㌦のチケットを700枚販売している。民間企業のムーン・エクスプレスは、不器用で、呼吸するための酸素が必要な人間には興味すら示していない。ロボットを使った月での探鉱を目指している。個人的には、恒久的な月有人基地がいいと思う。米国の政治家らが、1970年代に月を見捨てなければ、既に存在していたかもしれない。
どの計画が成功し、成長していくかは分からない。しかし、民営化のいいところは、一発だけで終わらないところにある。宇宙への軌跡は、アイデアと利益両方の競争によって決められる。もう、宇宙にほとんど興味のない政治家の気まぐれに左右されることはない。
宇宙はすでに、現代のテスラ、エジソン、ライト兄弟らの手にある。今後さらに力を付けてくるだろう。今回も実際に、いつか必ず、どこかにたどり着く。
(1月1日)