日和見と所信の差
韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」
チェベクホの歌『僕の心は行き場を失い』はいつ聞いても胸にジーンとくる。「落ち葉が散ると悲しみが増すよ/いっそ白い冬に旅立って/雪道を歩きながら、雪道を歩きながら…」。彼が歌うのは別れの美学だ。品位はあるが、利己的で計算高い人間が容易(たやす)く到達できない境地だ。シェイクスピアの『ハムレット』はチェベクホの歌より人間的だ。ハムレットの「生きるか、死ぬか、それが問題だ」という独白は選択の岐路に立った苦悶の深さを物語る。ハムレットの台詞(せりふ)は続く。「過酷な運命の矢が当たった苦痛を死んだように耐えることが果たして立派なことなのか。さもなければ、両手で荒波のように押し寄せる艱難(かんなん)と闘って退けることが正しいことなのか」。
「離党するかしないか、これが問題だ」。新政治民主連合の多くの議員たちが、そんな悩みに陥った。日和見戦争は安哲秀議員の離党後にひどくなった。議員バッジを付けることが至上課題である人たちなので、そうするしかないのだ。悩みの重さが理解できないことはない。政治的な名分や有権者に対する道理など、守るべき何かがあるはずだ。しかし、全てがそのためではないので、見るに忍びない。どちら側に立つ方が有利か、計算機だけを熱心にたたいている人間は特にそうだ。船が大波で難破する時に人間の真価が現れる。
孔子がこんなことを言った。「君子は義理に明るく、小人は利害に明るい」(里仁篇)、「君子は泰然自若だが、小人は心配ばかりして過ごす」(述而篇)。小人は栄達のために命をかけ、一つ欲望を達成すると他のものを欲しがり、得たものを失うのではないかといらいらするため、一日も心の休まる日がない。賢いネズミも見落とすことがあるという。新政治連合の左顧右眄する議員たちに与える警告としてふさわしい。
韓国政界の巨木、李萬燮(イマンソプ)元国会議長が一昨日他界した。李元議長は所信と決断の政治家だった。権力の前に屈せず、時流に迎合しなかった。主に与党の国会議員だったが、党籍を何度か変えても保守と進歩の両陣営から尊敬を受けた。李元議長は生前、「過去、非常に困難な時に私はいつも(議長の)辞表を懐に入れていた」と述べ、「政治家は国家のためにいつでも辞めるという考えを持たなければならない」と言った。巨星が落ちた。残された者たちが先輩の跡を継がなければならないのだが、政界には小人たちが群がるのみだ。
(12月16日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。