“キロギアッパ”の涙
「世の中が騒々しければ/綱に止まったスズメの心で/父は幼い子供の将来を考える/父の目には涙が見えないが/父が飲む酒にはいつも見えない涙が半分だ/父は最も孤独な人だ」(金顯承の詩、『父の心』から)
父の子に対する献身的な愛情と、家族を扶養するための苦闘が切々とつづられている。子の海外留学のため妻まで送って単身生活する“キロギアッパ”(「雁の父」の意)には、この詩がよりいっそう格別なものとなるだろう。子の教育のために選択した離散家族の道があまりにもつらく、涙ぐむ日が多いためだ。
雁は生涯、“一夫一婦”で暮らす鳥といわれている。雁のあつい夫婦愛を利用すれば、オスとメスの2羽を一緒に捕まえることができるという。1羽が先に死ぬと、相方を失った雁は物悲しそうに鳴きながら葦の茂みをうろつくが、死んだ雁で誘引して相方を生け捕りにするというのだ。卵を抱えたメスの世話をするオスの姿は嫉妬したくなるほどだ。
雁のあつい夫婦愛は近くにいる時に有効だ。人も変わらない。航空機のチケット代を節約しようと、せいぜい1年に1回しか妻と会えない“キロギアッパ”の夫婦愛と家族愛が、以前と同じはずがない。単身生活が長くなると、妻、子との関係は疎遠になる。子供とは価値観の差によって話が通じず、父親の犠牲も分かってくれない。配偶者の浮気で家庭が破綻する極端な事例もしばしば耳にする。
貧しく、心苦しく、孤独という“三重苦”の涙をこらえながら面倒を見た代価としては、あまりにも過酷ではないか。人生の虚無を感じて自殺する“キロギアッパ”が生まれるわけだ。“キロギアッパ”生活11年目の歌手、金興国が数日前、飲酒運転して摘発され免許停止になった。彼は酒に依存しなければ孤独を耐えることができなかったという。“キロギアッパ”生活を清算したいと言いながら、テレビで涙を流したこともある。
家族は文字通り、一つのいえ(宀)でブタ(豕)を飼いながら暮らす氏族だ。一つの垣の中でもまれ合って暮らしてこそ、本当の家族愛は育つ。子供の教育が家族愛と交換してもいいくらい大切な価値なのか疑問だ。“キロギアッパ”を量産する奇形な韓国の教育現実がやるせない。
“キロギアッパ”の涙が消えるその日はいつ来るのだろうか。
(韓国紙「セゲイルボ」10月14日付)