共感の扉開く至誠


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来

 友情も共感だ。その昔、山寺に蟄居(ちっきょ)中のある儒者が住職と深い友情の絆を結んだ。儒者は病弱だった。ある日、ぶらぶら病の儒者が言った。「なあ君、君と一緒に一度、金剛山見物に行きたいな…」。住職は「来年春にチンダルレ(カラムラサキツツジ)が咲いたら一緒に行こう」と親友の手を握り締めた。しかし、儒者はその年の冬を越えられなかった。

 翌年春、住職は独りで金剛山に向かって旅立った。彼の背負った荷物の中には儒者の遺品が入っていた。彼は歩きながらあたかも儒者が生きているかのように、金剛山まであとどれだけか、道端にどんな花が咲いているのかを話した。やがて金剛山近くの川に着くと、住職が船頭に船賃を渡した。「これは多過ぎます」。船頭の言葉に住職が答えた。「2人分です」。

 共感は自分の立場から相手の置かれた境遇を思いやる同情とは違う。住職が友に対するように、相手の心に入って共に眺める感情移入だ。「セウォル号」沈没事故の後、韓国社会の話頭となったのが、他ならぬこんな共感だ。大統領が遺族に何度も謝罪し、閣僚たちがしばしば非難を浴びるのも共感の能力が足らないためだ。一国の閣僚が「ラーメン大臣」や「チキン大臣」に転落(事故当日、教育相が被災者や家族のいる体育館でラーメンを、安全行政相など対策本部高官が夜食にチキンを食べたことが非難の的になった)したのは、遺族と悲しみの重さを分かち合う心が足らなかったためだ。

 事故後、袋叩(だだ)きに遭った李柱栄海洋水産相が全羅南道珍島の港で行方不明者の家族の琴線に触れ、互いに手を握り締めて涙を流したという。「大臣がはしけ船に行ってください。そうしたら行方不明者がまた発見されるような気がします」と哀願する家族もいる。

 事故の初期に李氏は被害者の家族に囲まれて5時間以上、トイレにも行けなかった。そんな家族たちが李氏の誠意に心の扉を開いた。李氏は事故後、一度も現場を離れず、簡易ベッドで仮眠。娘が父親の憔悴(しょうすい)しきった様子をテレビで見て(ショックを受け)病院に運ばれたと聞いても作業服姿で現場を守った。夫人が着替えを持ってきても会わずに職員に受け取らせた。

 共感の扉を開くカギは至誠だ。セウォル号の義人たちに大韓民国の未来を見るように、李氏に公職の希望を見た。

(5月22日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。