李俊錫の“愉快な反乱”


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 野党「国民の力」の李俊錫の“若い風”が強く吹いている。党代表選出選挙に出馬した彼は最近、ある世論調査で8人の候補のうち支持度1位を記録した。支持率が30・1%で、錚々(そうそう)たる2、3位候補を合わせたものより高かった。青年世代から“スッコル(守旧勢力バカ)”“コンデ(権威的な考えを持つ大人)”と後ろ指をさされていた保守政党で起こった天地開闢だ。李俊錫“突風”を見守るソウル市長、呉世勲は「愉快な反乱を夢見る」とSNSに書き込んだ。

 李俊錫は世界的な名門のハーバード大学出身だが、政界では“泥の匙(さじ)と箸(はし)”(最大の足かせ)同然だ。韓国の政治風土で年齢と金バッジ(国会議員であること)は“いくら努力しても越えられない壁”だ。道端で取っ組み合いのけんかをしていた輩でも、片方が「お前、何歳だ。年端もない奴が」と叫べば早々と勝負が決まるのが韓国の現実だ。さらに、当選回数まで少なければ、勝敗はついたも同然だ。ところが李俊錫は齢36歳のМZ世代(新世紀に成人・社会人となるミレニアル世代と、デジタルが当たり前のZ世代)であり、国会議員に一度もなれなかった“0選議員”だ。

 李俊錫にも0選を免れる機会がなくはなかった。彼は青年ベンチャー企業家として歩み始めた2011年、国民の力の前身ハンナラ党の非常対策委員として政界に入門。その後、党の革新委員長、最高委員のような大役も務めた。こんな経歴を踏み台にして容易に比例代表区で金バッジを付けることもできたが、アスファルトの舗装道路を断り、敢(あ)えて直接有権者の審判を受ける狭い道を選んだ。ソウル蘆原丙地域区に3回出馬し苦杯をなめ続けた。多選の既成政治家のように既得権に固執せず、手放すことを知る徳目が今度の突風の動因だ。

 インドで最初に発見された数字0の力は大変なものだ。0は利他と下心の数だ。ある数の後ろに0が付けばその数は10倍、100倍、1000倍に大きくなる。しかし、0が他の数の前に立って偉ぶったら、数の大きさは変わらない。さらに、自分の数字0を掛けるような独善と蛮勇を振るうと、自分はもとより他者まで0になってしまう。共倒れに至る道だ。

 李俊錫は昨年の総選挙惨敗後、「今野党の代表を選べば“関心なし”という名を持つ方が当選するはずだ」と語った。彼は野党への無関心を関心に変える半分の成功を収めた。国民に喜びを与える彼の“愉快な反乱”はまだ始まったばかりだ。

 (5月26日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。