運動圏勢力を廃族?


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 「わが家は廃族だ。官職には就けないが、聖人や文章家になれないだろうか。廃族が文を読まず身を正さなければ、どうして人の役割を果たせようか。廃族になり洗練された教養がなければ憎しみを買わざるを得ない」

 茶山丁若鏞(茶山は号)が18年間の流刑生活中に息子たちに送った手紙の一部だ。廃族は、先祖が大きな罪を犯し子孫が官職に就けない家門だ。科挙に合格して官職に就いた丁若鏞は(朝鮮第22代王)正祖の寵愛を受けたが、西学(西洋の思想と文物)に傾倒しているとの理由で攻撃され、正祖死去後、廃族の身となった。それでも息子たちに漢学の勉強と修養に力を入れるよう叱咤激励したのだ。自分のため出世の道が閉ざされた息子たちへのすまない気持ちもあったのだろう。

 “士禍”と呼ばれる政治報復の悪循環がひどかった朝鮮時代には廃族が少なくなかった。朝鮮後期の放浪詩人・金炳淵の家門が代表例だ。洪景来の乱(1811年、平安道で起こった農民抗争)の時、宣川府使だった祖父、金益淳が反乱軍に降伏した罪で、その子孫は官職への道が閉ざされた。流罪生活をした丁若鏞と放浪生活をした金炳淵が名著と名詩を残したのは、それほど廃族の恨みが大きかったためだろう。

 われわれの政界に廃族という言葉を呼び起こしたのは安熙正前忠清南道知事だ。「親盧(武鉉)と言われてきたわれわれは廃族だ。罪を犯し平伏して許しを請わなければならない人々のような立場だ」。盧武鉉元大統領の最側近だった彼は2007年、インターネットに上げた文章で、民主改革勢力を自称してきた親盧が分裂と改革失敗により大統領選挙で惨敗したことに対し、反省文を書かなければならないと語った。しかし盧元大統領の悲運の死は逆説的に親盧を復活させた。盧元大統領の親友である文在寅を大統領府に入城させるのに大きな功績を立てて、政権の主流勢力となった。

 金栄煥元共に民主党議員は一昨日、光州民主化運動証書を返却し、廃族という言葉を口にした。彼は「今、民主化の退行、特権と反則の復活を見守りながら、過去の同志たちの偽善と変身に対し深い怒りと憐憫を感じている」とし「今や民主化運動に対する礼遇や支援が国民の重荷になっている。文在寅政府が運動圏勢力(左派の学生運動や在野運動をした活動家たち)を廃族させた」と語った。運動圏勢力がどれほど大きな失望を国民に抱かせたか、自問すべきだ。(4月7日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。