「現代」第1世代の遺産


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 鄭相永(チョンサンヨン)KCC(金剛高麗化学)名誉会長が他界した。名前に同じ「永」の字を持つ故鄭周永(チョンジュヨン)現代グループ名誉会長の末弟だ。長兄の鄭周永会長より21歳年下で、“リトル鄭周永”と呼ばれた。外見、話し方、歩き方はもちろん“不屈の精神”まで長兄にそっくりなので付けられたニックネームだ。

 彼の他界により「汎現代家」の第1世代の時代は幕を下ろした。現代グループの出発点となった現代建設の設立を基準にすると74年ぶりだ。

 時計の針を87年前に戻してみる。貧しい江原道通川。長男の鄭周永は家出を繰り返し、牛を売ったお金70円をもって何の見通しもなくソウルに行った。19歳だった1934年のことだ。肉体労働と米屋の店員を皮切りに金儲(もう)けを始めたが、不運が続く。しかし、鄭周永は屈しなかった。光復(日本統治からの解放)後、自動車整備所を再興し、小さな建設会社を創って再挑戦する。現代建設はそのようにして誕生した。

 長兄に従う弟たち。だが末弟は違った。父親のような長兄の傘の下にとどまらなかった。22歳だった1958年、金剛スレート工業を設立した。末弟を愛おしく思う鄭周永が「金剛」という名前を付けた。「金剛石(ダイヤモンド)のようにしっかりした企業をつくって世の中にそそり立て」と言いながら。

 末弟は塗料・建築資材の分野で第一人者になった。1987年、国内で初めて半導体封止材(EMC)を量産し、96年には水溶性の自動車塗料を独自開発した。2003年にはシリコン原料モノマーを国内で初めて生産した。“建築資材の独立宣言”だ。他界した末弟会長の思いは、それぞれKCC、ケイシーシーガラス、KCC建設を経営する3人の息子に引き継がれた。

 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」(ダグラス・マッカーサー)。故鄭周永名誉会長の兄弟は歴史をつくり、また歴史の中に消えた。長兄の会長はこんな言葉を語った。「どんな失敗よりも致命的な失敗は仕事を放棄してしまうことだ」「われわれの成功は国の成功であり、国の成功はわれわれの成功だ」。不屈の精神、産業報国の精神が込められている。

 KCC系列の主要工場には独特の文化がある。毎朝、社歌を歌うのだ。不屈の精神を肝に銘じて、2・3世たちが引き継ぐ汎現代家の諸企業。くれぐれも先代の精神を忘れることのないように願いたい。

 (2月2日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。