自衛隊日々報告の在り方

杉山 蕃元統幕議長 杉山 蕃

法令改正し適正保護を
一般文書扱いが騒動の原因

 首相訪米による日米首脳会談が行われた。今回は、北朝鮮核開発問題および拉致問題、貿易不均衡問題をはじめ、重要なテーマを抱えており、その帰趨(きすう)は極めて重要な会談であった。にもかかわらず、わがマスコミの矛先は、森友・加計、防衛日報、財務省たたきといった内政問題、不祥事問題の詮索に重点指向され議論に深みがない。いわば魔女狩りを地で行く感がする。今回は自衛隊日々報告(日報)について所見を披露したい。

 一般に軍事組織にとって、行動の記録を残すことは極めて重要であることは論を待たない。当然自衛隊の活動に際してもしかりである。自衛隊幹部の教育では、危機管理の段階から、日誌の形態で詳細な記録を作成し、部隊レベルで所要の報告を上級司令部に、適時実施することを徹底的に教え込む。またこれと並行して、主要車両、艦艇、航空機等主要装備の活動状況も、整備補給の面から詳細に記録されていく。燃弾の消費状況についても、詳細な記録が残されていく。これらの記録は、時間を経て、戦闘詳報になり、以降の部隊行動の重要なデータとなって活用される。今回の日報問題は、日々の部隊の活動状況、部隊周辺の諸勢力の状況を派遣部隊として報告し、上級司令部と現地部隊が、情勢を共有するため行われたものであり、当然の活動である。特に派遣に際し、その適否をめぐり「戦闘地域」に関する政治的論議が行われたことから、周辺の治安情勢、武装勢力の活動は、詳細に報告されたのはもちろんであろうと推察する。

 こういった状況から、行政文書としての日報は、派遣部隊の行動、指揮官の判断あるいは現地で協力する他国部隊の情報等、機微にわたる内容を含むことから、破棄期限を1年とし、期限を過ぎたものは、日報としては存在しないとした防衛省の建前は頷(うなず)けるところがある。しかし一方で各部隊レベルでは、派遣部隊としての公式な報告は、正確な記録作成という面から、根幹をなす資料であり、部隊レベルで参考記録として保存していたのもやむを得ないところと考えられる。

 今回トラブルとなった最大の原因は、「日報」を一般行政文書と同様に取り扱ったことにある。これにより、日報は情報公開法に基づき、1回300円の手数料で開示されるという仕組みになってしまったのである。自衛隊の活動に係る報告文書は、既述したごとく種々の秘匿すべき内容を含んでおり、それなりの保護処置が必要である。これは他国の例を見るごとく、国際的常識である。このままでは、今後同様のケースにおいて、協同する他国はわが国への情報提供にたじろぐであろうし、もっと厳しい状況に置かれることも危惧される。さらに今回の轍(てつ)を避けるため、報告と部隊記録の二重帳簿になるようでは事態混乱を招くことおびただしい。ぜひ自衛隊行動文書の適正な保護のため、法令の改正を行うことが立法府の取るべき処置であろう。

 もう一つの疑問は、イラクにしても、南スーダンにしても、自衛隊の復興支援業務は無事終了し、国際的に高い評価を得た実績となっている。テレビ等の現地報道も放映されたが、かなり治安面、現地勢力間動向で厳しい時期もあったと承知しているが、現地指揮官をはじめとする適切な指揮活動で、心配した事態には至らず、全員無事に任務を終了しているのである。派遣を決める過程での激しい論戦は結構だが、任務終了後、時間の経過した時点で今さら何の議論かと首を傾(かし)げるところである。野党・マスコミの論調は、例によって「シビリアンコントロール」の危機とかいう針小棒大のキャンペーンである。本件は前にも論じたところであるが、文民統制を正しく機能させるための制度の検討が先だろう。

 今回、自衛隊復興支援部隊の日々報告問題に関連し、活動の記録、報告の重要性と、これに係る部隊の業務、そして報告文書の取り扱いには特別の処置が必要であることを強調しておきたい。

 筆者の畏友N君が、先年母君の遺品整理の一環として、日中戦争南京攻略に従軍した父君の陣中からの200通を超える私信集を「家族に残す歴史」として自家出版した。父君は当時発足した(慶応出身の)予備将校、陸軍少尉として招集に応じた方である。南京への進軍、激戦の雨花門からの入城を通じ、誠に参考になる記述が各所に光る。中でも印象的なのは、師団長、連隊長から再三にわたり、軍紀厳正について訓示、指示が行われていた事実、中国軍が銃剣を持って住民から食料を略奪していたのに比し、皇軍は、正当な対価を支払っていたため、歓迎されていた事実、雨花門から入城後、徹夜の警備任務に就き、休む間もなく次の正面に移動を命ぜられて転進したこと等、日本軍の高い規律と士気が各所に読み取れる。本件は、産経紙に1面で紹介され、一級の資料とされたが、一度記録として残されたものは、いつか歴史の真実を明かす証拠としてその役割を果たす可能性があることの証左として紹介した。

 今回の日報問題も、正確な記録、そして適切な保存、保護が成されることが何より肝要であり歴史として残るにふさわしいものとする処置が必要であることを強調し、政争の具、党利党略の犠牲にしてはならないと願うものである。

(すぎやま・しげる)