トランプ旋風と日本の防衛

杉山 蕃元統幕議長 杉山 蕃

米国民の「本音」知る必要
新たな時代の国防検討の好機

 米国次期大統領選挙にドナルド・トランプ氏が勝利し、彼が選挙運動中展開した過激と言える主張に、世界中がその成り行きに注目している。環太平洋連携協定(TPP)離脱とブロック経済化、イスラム教徒入国問題、メキシコ労働者入国と麻薬問題、地球温暖化対策の長年の各国の結晶であるパリ協定への批判等に加えて、日韓の核武装問題、在日米軍経費負担問題にもキャペーンを広げた。これらに対し、世界中が論評を加え、我が国においても外交・安保面はじめ多方面から種々の論評が成されているが若干の所見を披露したい。

 まず指摘したいのは、トランプ氏立候補の経緯と、彼独特の大衆をつかんだ過激な主張である。アメリカンドリームの寵児(ちょうじ)として成功を収めた実業家であるトランプ氏は、共和党大統領候補として名乗りを上げたが、その目標は、現状とは異なったものであったらしい。すなわち、本人自身共和党候補者選に勝利することは想定外で、「泡沫(ほうまつ)候補」として無残に消えていくことは避けたい。すなわち、有力実業家として名が残る活躍をしたいというのが目標であったと陣営内部の有力者が証言している。そういうことであれば、政治家としては不適切と思われる発言の過激性も頷(うなず)けるところである。

 しかし、ここで注目しなければならない問題は、適度な活躍を目標とした彼が主張した多くのキャンペーンが、米国民にとって「本音」とも言える主張を的確につかんでおり、国際協調のリーダーであった米国から、より厳しい対応で「再び偉大な米国」に回帰すべきだとしていることである。この「本音」は、非常に重要でいつ大きな流れになるか分からない可能性を有しているからである。ここで問題は、再び凶悪な大規模テロが発生すれば、「本音」が再び有力となり、予想を超える状況になる可能性があることではなかろうか。戦後71年、世界のリーダーとして、国際的協調を旗印に繁栄を続けた米国が、その方向を変える可能性が、米国民の「本音」に潜んでいることを理解すべきである。

 第2点は我が国および韓国の核武装に触れ、これを容認すべきだと発言していることである。これはかなり無謀な発言でその反響は大きい。言わずもがな、核拡散防止・核軍縮そして核廃絶は人類の悲願である。そして核拡散防止条約(NPT)が、190カ国が締結する基本条約であることは論をまたない。NPTを支える一つの大きな柱は、日・韓といった核開発能力を持ちながら、非核を堅持している諸国の存在であり、その流れに逆らうことは、いかに米国の大統領といえども、許されないことであろう。米国は議会政治の国、いかに大統領権限が大きくとも、とてもまかり通る主張ではない。

 しかし、その底流に存在する「核の傘」経費そして日韓両国に展開する米軍駐留経費の過大感については、双方それぞれの見方があり、米側の「本音」として理解していく必要がある。特に反論できないのは過去10年にわたる防衛費の支出に関し、その努力が足りないと指摘されていることであろう。確かにここ10年の各国防衛費は、ロシア4・62倍、中国3・40倍に対し我が国は1・01倍(平成28年防衛白書)であり、いかなる財政事情があろうとも、総合的には指摘されている通りと言わざるを得ない。これも米国の「本音」であり、「平和は、神が与え給うものでは無く、人類が努力して作り上げるもの(ジョセフ・ナイ)」という観点からは、大きな不満が存在するとみるべきであろう。

 確かに我が国の防衛の現状は、日米安保に大きく依存し、日米防衛協力指針、日米共同作戦計画、日米共同演習等を踏まえて、十全の態勢を取っている。しかしよく考えてみると、世界に抜きんでた軍事力を有する国との共同であり、負けるシナリオはあり得ない。その中で、いかに自国防衛のために応分の努力を重ねるかが、我が国として持つべき義務感であり、一国としての矜持(きょうじ)と言えるであろう。

 世界の大きな流れにおける米国の立場は、200年前のモンロー宣言以降、ブロック化による対立そして抗争、その反省としての国際協調を行き来して今日に至っているが、第2次大戦から70年、冷戦崩壊から30年といった時の流れの中で、いかなる展開をするのか極めて不確実である。米国の本音の主張が今後どのように顕在化していくのか、あるいは新しい国際協調を生み出していくのか深刻な時機を迎えている。

 我が国は、安倍・トランプ会談そして新大統領就任後の首脳会談等あらゆる場を通じて、国際協調への継続を主張していくことは当然であるが、一方において、米国民の「本音」の所在をよく承知し、特に防衛においては、今後いかなる方向にも対応できる強靭(きょうじん)な姿勢と努力を国民のみんなが真剣に検討すべきである。米国民の本音が垣間見え、新しい時代を迎えようとしているこの時期、むしろ検討・論議の好機と捉えるべきである。「活動家」を前面に置き、過激なデモを繰り返している我が国の「反戦活動」の現状は、あまりにも古く硬直しており、建設的ではないことを痛感する。

(すぎやま・しげる)