トランプ氏の巧みな新戦略
穏やかなイメージ演出
クリントン氏は支持失う
もし読者が現状維持側の候補者で、国内の雰囲気が悪く、有権者の3分の2が国は間違った方向に進んでいると感じ、変化が求められる状況の中にあるとしたら、どのように選挙戦を戦うだろう。攻撃するだろう。それも容赦なく。対抗馬を、過激派、不安定、無知、資質を欠く、危険などと批判するだろう。ヒラリー・クリントン氏の最新の広告はまさにこれだ。ドナルド・トランプ氏を非難する共和党の大物政治家らを中心に据えた広告は「不適切、危険。共和党員ですらそう思う」というせりふで終わる。
これが、クリントン氏のかの有名な「オルトライト」演説のテーマであり、1億㌦の広告の大部分を占めている。
問題は、これが効果を挙げていないことだ。
ケリーアン・コンウェイ氏率いる新トランプ陣営は先月から、攻撃をかわすことに専念してきた。ある基準以上の支持が得られれば勝利できるという計算からだ。イメージの大胆な再構築を行い、実績をたたえ、感情移入を誘う作戦に出た。
実績はメキシコで積んだ。メキシコ大統領はどういうわけか、トランプ氏に、国のリーダーとして世界の舞台に立つ機会を提供し、自信は控えめに行動した。オバマ氏も上院議員だった2008年にパリでの記者会見にフランス大統領とともに臨み、指導者としての実績とした。
これが第1部「政治家トランプ」。第2部は「優しい、親切なトランプ」だ。
なんと厚かましい。大言壮語、弱い者いじめ、仰々しい話しぶり、人を侮辱し、無神経なトランプ氏を優しく穏やかなトランプ氏に仕立て上げることが可能だろうか。あと2カ月だ。デジタル時代であり、過去のすべての振る舞いはすべて動画に収められ、消えることはない。
これが仮に可能として、どのようにするのだろう。これまでにあったことから注意をそらし、否定し、何もなかったようなふりをするのか。出生地問題や国外退去、プロンプターをばかにし、資金集めをする候補をあざ笑った事実はどうするのか。記録を葬り去るのか。
オーウェルは間違っていた。抑圧する必要はない。必要なのは、刹那(せつな)的なソーシャルメディアの洪水の中で感覚をまひさせるだけでいい。この現実離れした奇妙な選挙に過去は必要ない。
クリントン氏は広告で、現実のトランプ氏を分かりやすいワンフレーズで捉え、動揺を招こうとしている。だが、クリントン氏の支持率は下がり、トランプ氏の支持率は上がっている。
これは、トランプ氏が防戦に回ることがないからだ。新たなトランプを作り出しているからだ。
1、アフリカ系米国人作戦。新たな手法であり、人目を引く。トランプ氏はこの言葉にあまり慣れていない。知らず知らずのうちに「黒人」と言ったりする。アフリカ系米国人の生活はあまりにひどく、誰に投票したところで失うものなどないという蔑視と侮蔑が、どこかに漂っている。
しかし、優れたコメンテーター誰もが言っているように、アフリカ系米国人票に足を踏み入れたのは、黒人票を手に入れるためではなく、筋金入りの白人候補という一般的なイメージを弱めるためだ。
興味深い結果になった。トランプ氏が軟化する一方で、クリントン氏は批判的なトーンを強めた。とうとう「嘆かわしい人々」と発言するところまで激化した。この言葉は、選挙の日まで付きまとうことになる。政治の基本「有権者を非難するな」に反する。
2、移民問題ではぶれた。不法移民に関して1週間ずっとさまざまな言葉が飛び交い、トランプ氏は何を考えているのかと誰もが思った。天才的だ。言葉の霧の中から見えてくるのは、国外退去や滞在合法化の議論はもう終わったというメッセージだけだ。議論が再開されるのは数年後だ。
臭いものにはふたをする。
ヒスパニック系の票は得られないが、そんなことは重要ではない。「フィラデルフィア郊外」でのイメージを改善することが目的だ。フィラデルフィア郊外は、評論家らが、大学卒の白人女性を指して使う言葉で、その票は共和党が勝利するために欠かせない。2012年にはここでロムニー氏に10ポイントの差をつけられた。
3、大型爆弾並みの子育て支援策。13日に公表された。本来はリベラル派のおはこであり、まるで「大きな政府」だ。税金の控除と還付を行い、6週間の有給出産休暇の付与を連邦政府に義務付けるというものだ。オバマケア以来の大規模補助金だ。
だが、何かおかしい。トランプ氏の信奉者らは、共和党エスタブリッシュメントは裏切り者の特権階級であり、オバマ氏の尊大な統治スタイル、大きな政府による浪費、予算を食いつぶす補助金を前にずっとされるがままであり、トランプ氏はこの共和党エスタブリッシュメントにだまされた人々の代弁者だと主張していたはずだ。
とても分かりやすい。恥知らずだが、よく考えられている。
おまけに効果が出ている。
(9月16日)