謎だらけの北からの侵入者
容易でない船での脱北
ミサイルよりも警戒が必要
北朝鮮は7月19日の早朝、平壌に隣接する黄海北道から弾道ミサイルを発射した。このミサイル発射は、在韓米軍が地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」配備を決めたことへの反発とみられている。事実、THAAD配備決定後に北朝鮮は「無慈悲な報復攻撃を行い、韓国は炎と瓦礫(がれき)の海と化す」とTHAAD基地攻撃を公言していた。ある程度予想されていた北朝鮮のミサイル発射であり、日本海に向けて発射したからといって、日本を標的にしたのではない。
問題は、同じく日本海から北朝鮮の人間と思われる男性が不法入国したことである。この男性は7月13日に北朝鮮の清津から船に乗って日本近海までやって来て、15日午後9時ごろにポリタンクにつかまって海に飛び込み、16日午前6時ころに仙崎港に上陸し、付近の路上で地元住民に発見されたという。
私は長年、海上保安庁の政策アドバイザーを務め、北朝鮮から海を利用して日本に来る脱北者たちの調査・分析を行っており、「北朝鮮の男性が泳いで来た」という報に接した時、驚きを隠せなかった。テレビも早速この出来事を報じていたが、要領の得ない報道である。
「男は25歳の民間人で、日本語は理解できないようだが、片言の英語ができるので、特殊な学校に通っていたのではないか」「逃げて来た理由は北朝鮮で韓国のビデオなどを見ており、それが警察にばれて追われるようになり、それで日本海から海外に逃亡することにした」とのこと。日本語はできず、英語も片言というこの男の素性や逃走動機などをよく調べたものである。
というのも、これまで北朝鮮から小型の漁船で日本海側の港に漂着(漂流)した時に、朝鮮語のできる人物(韓国語ではない)がいないので、いつものように「イカ漁をしていた」を「タコ漁をしていた」と通訳したり、「ごはんを食べた」を「パブルモゴッタ」または「パンモゴッタ」とも言うが、この「パンモゴッタ」を「ごはん」でなく食パンの「パン」と訳したり、北朝鮮にいる時に「ご飯を食べられなかった」を「食パンを食べられなかった」と通訳したりしたのである。多少なりとも朝鮮語を知っていれば、発音などで韓国語と朝鮮語では大きな違いもあるので、本当に「北朝鮮の民間人」なのか「韓国の民間人」なのか、よく区別ができたものである。
さて、テレビはおなじみの北朝鮮問題の第一人者という人物が、「韓国製のエロビデオの類いを見ても微罪で、警察に目を付けられるほどではない」というようなことを言っていたが、北朝鮮の「朝鮮民主主義人民共和国刑法」の「第6章 社会主義文化を侵害犯罪」の第193条「退廃的な文化搬入、流布の罪」、第194条「退廃的な罪を行った罪」では「退廃的かつ色情的で猥雑(わいざつ)な内容を含んだ音楽、舞踏、写真、図書、録画物及びCD―RОМのような記憶媒体を数回鑑賞したり、持ったり、そのような行為を行った者は、2年以下の労働鍛錬刑に処する。情状が重い場合には、5年以下の労働教化刑に処する」と定めている。
「労働鍛錬刑」は「犯罪者を一定の場所に送り、労働をさせる方法により執行する」もので、「労働教化刑」は「犯罪者を教化所に収容し、労働させる方法により執行する」ものである。決して「微罪」ではない。ましてや「警察(公安)から追われる立場にあった」とするならば、北朝鮮社会では生きてはいけない、さらなる深刻な事情があったのではないか。
また、「知人の木造船で日本の海域に漂着、その後、ポリタンクにつかまって海に飛び込み、8時間泳いだ。知人は北朝鮮に戻った」とのこと。この証言を見る限り、北朝鮮から日本に不法侵入することはいともたやすいことのようにも思われる。確かに、以前、日本海に頻繁に出入りしていた北朝鮮の不審船(工作船)の乗組員が、「日本に侵入することは、朝御飯を食べてトイレに行くようなもの」と言ったことがあるが、それほどに、日本への不法入国は簡単であったということである。
しかし、鹿児島沖での北朝鮮の不審船沈没(銃撃戦の後、自ら爆沈した)事件以後、日本海における北朝鮮からの不審船の侵入は難しくなった。それなのに、今回は「知人の木造船に乗って日本近海までやって来た」と言うが、北朝鮮ではどんな小型の漁船(木造船)でも、「全て朝鮮人民軍の直属か、付属機関に所属しており、全ての船は所属先と船長などが登録されており、朝夕、点呼ならぬ確認作業が行われている」のである。
テレビでは清津と山口との距離は800㌔といとも簡単に説明していたが、北朝鮮で往復1600㌔分の燃料(灯油)を「民間人が入手することは至難なこと」である。どうやって入手したのか。知人は民間人ではないし、軍人か軍関係者でなければ、往復6日間も船を港から空けておくことは不可能である。
この人間は本当に「北朝鮮からの脱北者なのか」、どうしていとも簡単に上陸できたのか(おそらく岸辺から5㌔くらいの所で船から飛び込んだのだろうが)、この事件は謎が多過ぎる。ミサイルよりも北朝鮮からの人間の不法侵入者に警戒すべきである。
(みやつか・としお)