イスラム教と民主主義


地球だより

 イスラム教と民主主義は両立できるのかとの問いはしばしば発せられる。

 イスラム諸国の大半は実質独裁国家で、民主主義の実現はおろか、奴隷制の残存さえ見られる。イスラム教の聖地、メッカやメディナを抱えるサウジアラビアに4年ほど暮らしたことのあるエジプト人女性によると、サウジではどの家庭にも家政婦がいて、炊事や洗濯はもちろん、子供たちの世話に至るまで、通常世界の主婦がこなす仕事すべてを代行しているという。夫人たちはそのような“仕事”から解放され、贅沢(ぜいたく)に時間を過ごしているというのだ。彼女はそれを羨ましく見てきたという。

 イスラム教が、ユダヤ教やキリスト教、他宗教と著しく異なることの一つは、聖職者を持たないことで、キリスト教には牧師や神父、ユダヤ教にはラビがいて信徒の指導をするが、イスラム教にはそういう意味での指導者はおらず、信徒は神と直接につながることをよしとしている。だから、ラマダン期間中、「なぜ君は断食をしないのか」ととがめることは誰にもできないのだという。「私は神と直接つながり、神との間において決めていることであって、あなたに干渉されることではない」との答えが返ってくるからだ。

 その考えを延長すれば、各個人の権利や尊厳が尊重され、民主主義が定着する可能性があるはずなのだが現実はそうなっていないことが不思議だ。為政者による自己中心的な権力欲や金銭欲が人々の純朴な信仰を抑え込み、信徒らも抵抗できないでいる故の現実なのかもしれない。勇気あるイスラム教徒による神と信仰の名における民主主義実現に向けた改革が求められている。

(S)