住民盾に攻撃続けるハマス
米コラムニスト チャールズ・クラウトハマー
モラル欠く国際政治
計算ずくのイスラエル攻撃
【ワシントン】イスラエルはエジプトの停戦案を受け入れた。ハマスは砲撃を続けた。意図的に民間人を狙っている。イスラエルは民間人を回避するために苦心し、実際に攻撃地点の民間人に電話をかけたり、警告のための発砲「ルーフノッキング」を行ったりしている。
イスラエルの首相は「ここが違うところだ。こちらは、ミサイル防衛を使って民間人を守る。あちらは、民間人を使ってミサイルを守る」と語った。
国際政治の中で明確なモラルが提示されることはめったにない。それどころか、イスラエル・ガザ紛争が、モラル面で同等の「暴力の連鎖」として描かれることが常だ。これはおかしい。イスラエルにとって越境攻撃を行うことにどんな利益があるというのか。ハマスが仕掛けたミニ戦争であることは誰もが知っている。ハマスが、イスラエルとそこに住むユダヤ人の殲滅(せんめつ)を、自身の存在理由として高らかに宣言していることも誰もが知っている。
ハマスの擁護者らは、ハマスがこのように血に飢えているのは、イスラエルの占領と封鎖のせいだという。占領とはどういう意味だろうか。もう忘れてしまったのだろうか。世界のテレビを通じて、イスラエル軍が、ガザ地区の強硬な入植者らをシナゴーグの屋根から引きずり降ろす光景が放映された。イスラエルはガザ地区の入植地を撤去し、住民を追い出し、軍を引き揚げさせ、ガザ地区の全域をパレスチナ人に渡した。ガザ地区には、一人のイスラエル兵も、入植者も、イスラエル人も残っていない。
封鎖も存在しない。その逆だ。イスラエルは、この新生パレスチナ国が成功することを願っている。ガザの経済を支援するために、パレスチナ人に3000の温室を提供し、そこで輸出用の果物や花が栽培された。境界を開放し、商業を促進させた。
これらすべては、平和的、生産的に2国家が共存するモデルを確立するためだ。イスラエルがガザ撤退と同時に、ヨルダン川西岸の四つの小さな入植地を解体した。西岸からも撤退し、友好的な2国家の共存を実現することを望んでいることを示すためだったが、そんなことは誰も覚えていないようだ。
以前の支配者であるエジプトも、英国も、トルコも決して与えなかった自治領をイスラエルが認めたことに、ガザ地区のパレスチナ人はどのように対応しただろうか。まず、温室を破壊し、ハマスを選んだ。次いで、この10年間の大部分を、政治・経済制度を備えた国家を建設するのでなく、イスラエルとの絶え間ない戦争をするために、ガザ地区を巨大な軍事基地に作り替え、テロのための兵器をため込むことに費やした。
新生パレスチナ国家のどこに、道路、鉄道、産業、インフラがあるだろうか。どこにもない。長い地下トンネルを掘って武器を隠し、情勢が緊迫すると指揮官を立てる。巨額の資金を投じて、ロケット弾、ロケットランチャー、迫撃砲、小火器を買い、製造し、無人機まで保有している。意図的に学校、病院、モスク、民家に保管し、民間人を危険にさらしている。その上、そこからエルサレムやテルアビブに向けてロケット弾を発射する。
なぜだろう。ロケット弾では大きな被害を及ぼすことはできない。ほとんどがイスラエルのミサイル迎撃システム、アイアン・ドームに撃ち落されるからだ。西岸の指導者アッバス自治政府議長ですら疑問に思っている。「何がしたくてロケットを発射しているのか」
意味がないのだ。ワシントン・ポスト紙が社説で指摘したように、すべてはイスラエルの反撃を引き出すためと理解するしかない。
その結果、世界中のテレビにパレスチナ人の遺体が映し出される。イスラエルが攻撃が迫っていることを知らせるビラを撒(ま)いても、ハマスが住民に対して避難しないよう執拗(しつよう)に説得するのは、このためだ。
住民が殺害されるのがテレビで映し出されるように意図的に戦争を引き起こすなど、道徳的、戦術的には狂気のさただ。しかしこれは、非常に合理的な前提の上に立っている。つまり、イスラエルがオーウェル式に世界の監視を受け、古典的な反ユダヤ主義と、重大な歴史への無知と、明らかな第三世界の敗北者への本能的な同情がそれにさらに拍車を掛ければ、パレスチナ人の犠牲者が出ることで、イスラエルの正当性と自衛権への支持を損ねることができるという計算だ。
このカフカのような不条理な倫理的逆位の中で、ハマスの悪行が功を奏し始めている。ミュンヘンの虐殺が映画になり、クリングホッファーがオペラになる時代だ。どちらも、殺人犯に同情的だ。国連が人道上最悪の戦争犯罪を無視し、イスラエルを非難し続ける時代だ。イスラエルは66年間、戦争を仕掛けられ、それでも、盾として使われている民間人を守るためにあらゆる手を尽くしている。
このような狂気の中で、良心を失わずにいるということは立派なことだ。この地域の外にいる人々には、この狂気を世界にさらし、事実を話す最低限の義務があるはずだ。誰が見ても明らかなはずだ。






