人事聴聞会と自己検証


韓国紙セゲイルボ・コラム「説往説来」

 高位公職者の有力候補に上ると青瓦台(大統領官邸)から200を超える項目の質問書を受け取る。家族関係、本人と子供の兵役義務の履行、前科と懲戒、本人と家族の財産形成過程、納税と各種金銭の納付義務、学歴・経歴、研究倫理および職務倫理、個人の私生活などと関連した質問がぎっしりと詰まっている。検証書を書いていくと、自分がどのように生きてきたのかが一目で分かる。突然、目の前が真っ暗になって手が震え、体中に冷や汗が出ることも珍しくないはずだ。

 来週から人事聴聞台に立つ閣僚候補たちに問題が多過ぎる。それなのにどうして地位を望んだりしたのだろう。検証書を書く手が恥ずかしくなかったのだろうか。嘘(うそ)の弁明と詭弁(きべん)を垂れ流す口はまた、どれだけ汚れるだろうか。足らない者を分を超えた地位に就けようとする側も、与えられるからとずうずうしく飛びつく側も五十歩百歩だ。中国・明代の宰相、呂新吾は大臣を6等級に分類した。1等級は私心と作為がなく周りを安らかにする人物、2等級は強直で直言を厭(いと)わず所信通りに仕事をする人、3等級は良いことも悪いことも自ら進んで行わない安全第一の者、4等級は口だけで国家と国民のためだと騒ぎ立てる者、5等級は地位を利用して私欲を満たし自分の部下だけを使う者、6等級は野望に燃え国を乱す者。あなたたちは何等級なのか。

 「人事聴聞会に立たせて聖人君子だけを捜すのか」と過酷過ぎる検証を批判する輩(やから)も少なくない。公職者の候補に道徳性を問わなければ何を問おうというのか。不動産登記で財産を増やす技術? 他人の論文を密(ひそ)かに自分の作品に化けさせる才能? 偽装転入も辞さない子女教育熱? 飲酒運転の取り締まりにかかっても警官を怒鳴りつける勇気? 金九(キムグ)先生は独立政府の門番が生涯の願いだった。自分の分に満足することを知るなら、敢(あ)えて政府庁舎の門番になりたいぐらいのことを言えないのか。

 「それくらいの欠点は大したことない」といって私欲を捨てられないなら、詩人・金起林(キムギリム)の知恵を参考にしてはどうか。「生きていくということは大したことなかった。絶えず断念していくこと、それだけのことだ。…しかし、全てのことを完全に断念してしまうことは勇気のいることだ。…絶えず新しいことを欲して追求し、突進し、対立し、破壊し、燃やし、生命の最後の火花が消え去った後に初めて絶える生活態度がある。…」(文章・1940年5月)

(6月28日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。