日本の軍国主義を疑う米国
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
首相イメージに誤解も
靖国参拝で攻勢に出た中国
安倍総理の靖国参拝に対し、アメリカ政府をはじめ議会やメディアも一斉に非難を表明している。特定秘密保護法の制定と憲法9条改正の可能性と合わせ、日本には軍国主義の新たな芽があるのか、といった憂慮を示すのは、何も中国や韓国からの声に影響されているだけではない。
日本に住む日本人で日本が戦争をはじめると思う人はほとんどいないであろう。隣国から攻撃された場合、自国だけで防衛する自信もあまりなく、日米安保に従いアメリカが即座に反撃してくれると頼りにしている。
しかし、アメリカから見ると今の日本はどこか危なく見える。皮肉なのは、安倍政権が日米関係を重視し、それをより強固なものにするために努力をしているにも拘わらず、それがあだともなっていることである。9条改正は平和憲法を覆す危険な動きと一部で定義されるが、集団的自衛権の行使を「解釈」以上のものにするのは、日米安保や国連の平和維持活動という枠組みの中でともに配備される同盟国や友好国の軍に一方的に日本が守ってもらうのではなく、自衛隊もともに防衛活動ができるようにするためであり、アメリカが長く望んでいたことでもある。
特定秘密保護法も日本からは情報が漏れる、情報管理のルールがなく、漏らした場合の罰則もないとの非難に応えることで、アメリカの信頼を得、より多くの情報をタイムリーに得ることを目的としたのであろう。エドワード・スノーデンの一連のリーク情報から、英国やカナダ、オーストラリア、ニュージーランドとアメリカは非常に密接な情報共有をしており、同じ同盟国でも他の欧州各国や日本の扱いが全く違うということが公になったのも、保護法への動きを加速させたのかもしれない。
しかし、アメリカから見れば、強硬的に国会を通過させたやり方、機密情報を保護するばかりでなく、一定の条件と期間をおいての公開、つまり機密保護と市民の知る権利や国家機関の暴走を防ぐ管理監督とのいわばチェック・アンド・バランスのなさなど、内容の詰めの甘さに大きな不安を抱いた。
ウォーターゲート事件を追跡したような調査報道は日本では非常に難しいとされ、マスコミの自由度ランキングでは日本は179カ国中53位である。保護法は市民が政府を監督する権限をさらに弱めたとも見られている。
一方、間違いなく誤解や説明不足もある。安倍首相はしばしばナショナリストと定義される。ナショナリズムには国粋主義、愛国主義、民族主義などの訳がある。しかし英語のナショナリズムにはどこか自国のためには何でもする、他国や他民族のことは関係ないというイメージがある。
アメリカやイギリスでは、愛国心の強い人を表現する際にナショナリスティックではなく、ペイトリオティックという言葉を使う。ペイトリオティックという言葉には、国のために自らを犠牲にするという印象があっても、そのために戦争を引き起こすという意味合いは感じられない。ナショナリズムも軍国主義とは明らかに違うが、日本の歴史と合わせると戦争がイメージされるのを煽(あお)る国があるのは間違いない。
この環境下での安倍首相の靖国参拝である。日中や日韓関係の改善、地域に歓迎される日米同盟を求めるオバマ政権の怒りや不安は公にされているよりはるかに深いと言われる。佐々江駐米大使はワシントン・ポスト紙への寄稿に、安倍総理は日本が他国を侵略したことはない、と述べたことはないと書かれている。しかし、国会答弁で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」との発言をされている。
また、大使の寄稿文では総理は参拝後の談話で「過去に対する深い自責の念から」「日本は二度と戦争を起こしてはならない」と述べられたとあるが、報道されている総理発言は、「そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをいたしました」である。佐々江大使の英文と総理発言が与える印象の違いは明らかである。
靖国神社参拝は中国が防空識別圏(ADIZ)を一方的に設定してわずか1カ月後のことである。ADIZでアメリカをはじめ各国から批判を浴びた中国は、駐英、駐米大使のマスコミへの寄稿や出演も活用し、靖国参拝を巡りこれぞとばかりに国際社会の日本への評価を下げようとしている。
日本が軍国主義に陥ったかのような憂慮を抱かれるのもアメリカの批判を浴びるのも政権の本意ではないはずである。それを避けるためには言葉の与える印象、発言や行動が海外でどのように受け止められるのかを把握し、国際社会に通じる形で政策や意図を発信する必要がある。
また、誤解を生むばかりか意図を捻(ね)じ曲げられる恐れがあるのは、政治の世界では国内であろうと国際社会であろうと同じである。その罠(わな)に陥らないためには発言の食い違いを避けるばかりでなく、海外からの攻撃材料を排除するために国民と広く歴史や安全保障に関する議論を深めるべきである。本当の論議、功績ばかりでなく間違いも真正面から見つめる姿勢、そのためのきちんとした情報開示こそが国際社会の尊敬と信用を得る道である。
(かせ・みき)