最高裁判所の奇怪なる判決
家族観への影響は深刻
公務員の政治活動に規制を
昨今1年間に理解に窮する最高裁判決3件について触れてみたい。
平成24年12月7日最高裁判所第二小法廷は、政党機関紙を集合住宅の郵便受けに配布したとして、国家公務員法違反の罪に問われた2件の上告審判決において、国家公務員の政治的活動に対する罰則規定自体の合憲性は認めつつも限定解釈を加え、国家公務員法102条1項で禁止される「政治的行為」とは公務員職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを指し、「当該公務員の地位、その職務の内容や権限等、当該公務員がした行為の性質、態様、目的、内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。」と判示した上で、管理職的地位になかった元社会保険事務所職員については二審の無罪判決を維持し、元厚生労働省課長補佐については二審の有罪判決を維持した。
1974年の猿払(さるふつ)事件最高裁大法廷判決以降、最高裁は公務員の職種・職務権限・態様等を区別することなく広く刑罰をもって「政治的行為」を禁止することを正当化してきたが、これに対して本判決は、表現の自由の重要性に鑑み、上記のように具体的な諸事情を考慮した上で、「政治的行為」に該当するか否かを実質的に判断すべきと限定解釈した。
これは明らかに大法廷判決に反するもので、判例変更の手続きをしなければならない道理であるが、それが不可能なため限定解釈論で原判決を維持したに過ぎないが、今後公務員の政治的行為に対する処罰規定適用上重大な禍根を残したものといえる。
国であれ、地方であれ、公務員には政治的中立性が求められることはいうまでもない。今後、地方分権が進むことを考えれば、地方公務員も政治活動に関しては国家公務員と同等の自覚と責任が必要となろう。
大阪市が条例案を策定した背景には、職員労組の過剰とも言える選挙への介入があり、2003年までは、職員労組が歴代市長の選挙母体に加わっていた。労組役員らが前市長への投票を呼びかける法定外の選挙ビラを配布するなど、その行為は目に余った。
一方、2004年参院選では山梨県教職員組合などで構成される政治団体が、組織ぐるみで政治資金集めに関わっていたことが発覚した。2009年衆院選では北海道教職員組合が、民主党候補の陣営に違法な政治資金を提供する事件も起きている。
公立学校教員の政治活動は国家公務員と同じ制限を受けるが、罰則はない。与野党は地方の公務員の政治活動規制について議論を深め、法改正も検討すべきである。
その二は、血縁関係のない性別変更の父を認めた判決である。
即ち、性同一性障害で性別を女性から変更した、男性と妻が第三者からの精子提供でもうけた長男について、最高裁第3小法廷は、男性との戸籍上の父子関係を認める決定をし、夫妻の申立を退けた一、二審の判断を破棄した。
家族のあり方を巡る議論に影響を与えるもので、裁判官5人中3人の多数意見で、2人は反対意見を付けたが尤(もっと)もである。
男性は女性として生まれたが、2004年に心と体の性が一致しない性同一性障害と診断された。性別変更の手続きなどを定めた性同一性障害特例法に基づいて、戸籍上の性別を男性に変更し結婚したが、妻は第三者の精子提供で長男を出産した。夫妻は出生届を出したが、役所は「血縁関係がないのは明らか」として、父親欄は空欄のまま妻の「婚外子」とする戸籍を作成した。
特例法は、性別が変更された後は、変更後の性別とみなして民法などを適用すると定めていることから、同小法廷は、男性に性別変更した人について「夫として結婚できるだけでなく、『婚姻中に妻が妊娠した場合は夫の子と推定する』という民法の規定が適用される」と指摘。血縁関係がないことを理由に親子関係の形成を認めないのは「法律上許されない」と結論付けたが、真の親子といえるだろうか。家族観を根本的に変更することになろう。
その三は、妾(めかけ)の子(婚外子~非摘出子)と本妻の子(摘出子)の相続分を平等にした判決である。
判決は婚外子の相続分を摘出子の半分とする規定が平等原則に反するという論理であるが、従前の最高裁は法律婚主義と非摘出子の利益の調整を計ったもので、合憲としていたもので、今回の決定は歴史的誤判といわざるを得ない。
法律婚主義は我が国の伝統であり、半分規定を廃止する大勢にはなく、内閣府の世論調査でも、制度変更を望まない意見が平等論の倍近くある世論に大きく乖離(かいり)しているといわざるを得ない。
(あきやま・しょうはち)