東洋学園大学教授 櫻田 淳

経済発展と関係なく実現
英国・日本から価値意識を相続

櫻田 淳

東洋学園大学教授 櫻田 淳

 「経済発展を遂げれば、民主主義体制に近づく」

 マイク・ポンペオ(米国国務長官)が去る7月23日の対中政策演説で指摘したように、この命題を裏切ったのが現在の中国であるとするならば、それに反して、「経済発展が滞っていても民主主義体制が実現する」と証明したのが、「世界最大の民主主義国家」としてのインドである。

 インドで民主主義体制が機能した理由として指摘されるのは、「大英帝国の遺産」である。就中(なかんずく)、重要なのは、大英帝国がインド統治のために築いた「インド高等文官」というシステムである。このシステムの下、「法の支配」に代表される価値意識を体得した英国本国の特に上層中流階級に属する若者が過酷な環境下での勤務に身を投じるわけである。

「権威主義」統治の中国

 この「インド高等文官」システムがインド独立後に「インド高等行政官」システムに衣替えして、新生インドを支えた。「インド高等行政官」システムは、その内実たるや「インド高等文官」システムのコピーであり、徹底したジェネラリスト志向の官僚養成が行われるのである。

 他にも、大英帝国がインドで実施した教育は、「肌の色はインド人だが、嗜好(しこう)・道徳においては英国人である」と感じる一群の人々を生み出した。独立運動に関わって投獄されていたジャワハルラル・ネルー(インド初代首相)は、その一例である。

 故に、大英帝国のインド統治は、統治に際しての人材育成方法、価値意識、作法を移植したのである。こうした人々が、戦後インドにおいて、国民会議派を中心とする「一党優位システム」の下での民主主義体制を運営していく。これは、統治に際して生じた権限を私して利益を得ようとする官僚が跋扈(ばっこ)した他の国々とは、様相がかなり異なる。

 マンモハン・シン(インド前首相)は「インドはイギリスに支配されて幸福だった」という趣旨のことを内々に語っていたそうである。これは、隠れたインド支配層の本音なのかもしれない。このようにして、「精神において英国人」という意識を持った人々が築いた戦後インドは、確かに民主主義国家たり得たわけである。

 振り返れば、先刻、鬼籍に入った李登輝(台湾元総統)も、台湾で生まれ日本の高等教育を通じてその価値意識を受け継ぎ、民主主義体制を樹立した偉人であった。前に触れたように、「肌の色はインド人だが精神において英国人である」と自負したネルーに倣えば、李登輝は、「台湾に生まれたが精神においては日本人だった」と言えるのであろう。当代日本人は、そうした人材を出し得たことについて、矜恃(きょうじ)の一端を感じるべきかもしれない。

 そもそも、台湾全島に戒厳令を布いた蒋介石、蒋経国の2代の統治に反映されているのは、冷戦下の国際環境も然(さ)ることながら、「民は自ら治めることができない」ということを前提にした中華世界独特の「権威主義」統治認識である。毛沢東であれ蒋介石であれ、第2次世界大戦終結直後の中国大陸で互いに対立していた両雄が出現させたのは、結局のところは互いに相似した「権威主義」統治体制であった。

 こうした中華世界の文明上の宿痾から脱け出たことにこそ、「精神において日本人」であった李登輝が成し遂げた政治業績の本質がある。そして、李登輝が礎石を築いた「民主主義・台湾」は、既に「アジアで最も先進的な民主主義国家」と評されるに相応(ふさわ)しいものになっているのである。

大事な日印・日台関係

 日本にとっては、インドと台湾は、「非西洋世界において民主主義体制を樹立した」という意味で、同等の立場に立っている。戦後3四半世紀の夏に慮(おもんぱか)るべきは、「どの国々との関係が大事か」ということを見誤らない感性の大事さである。

(敬称略)

(さくらだ・じゅん)