めぐみさん父死去 北の拉致を世界に知らしめた
43年前、新潟市内で中学校からの帰宅途中、北朝鮮の工作員に拉致された横田めぐみさん=当時(13)=の父、滋さんが亡くなった。日本人拉致被害者の家族を代表する立場で妻の早紀江さんと共に全国各地を回り、海外まで足を伸ばして北朝鮮の非道さを世界に知らしめたが、ついにめぐみさんに会うことはかなわなかった。滋さんのご冥福をお祈りするとともに政府には改めて一刻も早い問題解決を促したい。
救出への意志揺るがず
滋さんは被害者救出運動の象徴的存在だった。めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことが確実視されて以降、他の被害者家族と共に家族会を結成し、その代表に就任した。署名活動や講演などを頻繁に行い、それらの様子はマスコミでも紹介された。娘の救出を固く信じる姿に多くの国民が胸を打たれた。
事態が大きく動いたのは2002年の小泉純一郎首相の訪朝で、北朝鮮の金正日総書記が拉致を初めて認め、謝罪し、5人の被害者とその家族の帰国が実現した時だった。しかし、めぐみさんを含む何人かの被害者について北朝鮮は死亡したと伝えてきた。
あまりにも残酷な知らせに日本中が衝撃を受けたが、記者会見の場でむせび泣きながら「信じることはできない」ときっぱりはねつけた滋さんの毅然(きぜん)とした態度が思い出される。
その後も滋さんは救出活動の先頭に立ったが、北朝鮮は拉致問題は解決済みとの立場を繰り返し、活動は難航を極めた。
大韓航空機爆破事件の実行犯だった金賢姫元死刑囚が、北朝鮮の招待所で工作員に日本語や日本文化を教える教育係をしていためぐみさんを見たという証言など、めぐみさんの生存情報が幾たびか寄せられた。一方で北朝鮮からめぐみさんのものだと称して別人の遺骨が送られてきたこともあった。だが、どのような時にも滋さんのめぐみさん救出への意志が揺らぐことはなかった。
めぐみさんが北朝鮮で生んだ孫娘のキム・ウンギョンさんとモンゴルで面会を果たすなど、嬉(うれ)しい出来事もあった。しかし、めぐみさん死亡を既成事実化される恐れがあったため、再び会うことはなかった。北朝鮮の惨(むご)い仕打ちには憤りを感じる。
滋さんは晩年、体調不良や高齢による体力不安から公の場に姿を見せることが減っていたが、めぐみさんとの再会を最期まで諦めなかった。その決意に政府が突き動かされたのは言うまでもない。
それにしてもやるせない。滋さんをはじめ高齢になった家族が、拉致された子供との再会を果たせないまま次々にこの世を去っている。安倍晋三首相は滋さんの訃報に「断腸の思い」と述べた。拉致問題解決を政権の最優先課題と位置付けてきただけに、滋さんも期待を抱いていたに違いない。
金正恩氏に決断を促せ
「被害者も家族もこれ以上待てない」と言われ続けて何年もたつ。政府には滋さんの思いを胸に刻み、公式・非公式ルートを総動員して金正恩朝鮮労働党委員長に被害者帰国を決断させるよう尽力してもらいたい。