コロナ禍招いた中国共産党体制、習主席の国賓来日は論外
中国問題グローバル研究所所長 遠藤 誉
新型コロナウイルス肺炎が猛威を振るっている。蔓延(まんえん)した最初の原因は湖北省の省都である武漢市政府が12月8日以来の患者の発症を隠蔽(いんぺい)したからだ。1月5日に上海市公共衛生臨床センターが「これまでにない新型コロナウイルスだ」と検査結果を発表したのに「確かに原因不明の肺炎患者はいたが、その問題は既に解決している」として北京に良い顔をしようとした。12月30日には武漢の李文亮医師が「この肺炎は(2003年の)SARS(重症急性呼吸器症候群)の時のコロナ肺炎に似ている。人人(ひとひと)感染もする」と警鐘を鳴らしたが、1月1日、武漢公安は李文亮を「デマを流し社会秩序を乱した」として摘発。李文亮は自身も新型肺炎に罹(かか)り2月7日に亡くなった。
片や、地方政府からの忖度(そんたく)によりようやく成り立っているような一党支配体制の頂点に立っている習近平国家主席は、武漢市政府の虚言を信じ医師の警鐘を無視して1月17日からミャンマーを訪問し、19日から21日までは春節のお祝いのために雲南省巡りをしている。しかし「問題は解決している」と隠蔽を続ける武漢市政府が「万家宴」という4万人の家族が料理を持ち寄る春節の宴に現(うつつ)を抜かしていた1月18日、浙江省で同じ肺炎患者が発症したため中央行政の一つである国家衛生健康委員会が動き、SARSの時の功労者である中国免疫学の最高権威・鍾南山院士(博士の上のアカデミックな称号)率いる「国家ハイレベル専門家グループ」を武漢視察に派遣した。一瞬で「SARS以上の危機がやって来る」と判断した鍾南山は北京にいる李克強総理に報告し、雲南にいた習近平に知らせて、1月20日、習近平の名において「重要指示」を発布させた。
この瞬間から中国はパニックに突入し、1月23日には武漢封鎖に踏み切ったが、もう遅い。それまでに500万人に及ぶ武漢市民が武漢から脱出し、中国全土に散らばっていった。
1月30日になってWHO(世界保健機関)はようやく緊急事態宣言を出したが、「貿易や渡航に関する制限は設けない」として緊急事態制限を骨抜きにした。WHOのテドロス事務局長はエチオピア人で、エチオピアへの最大投資国は中国だからだ。
このWHO宣言に対して、アメリカやロシア、北朝鮮、台湾、フィリピンなど数多くの国が「中国からの渡航者の入国を一律に禁止する」措置を講じたが、日本は湖北省からの渡航者を規制しただけで中国の他の地域からの受け入れは野放し。2月12日になってようやく浙江省だけを渡航規制区域に加えたが、ザルに水だ。結果、日本はWHOから「警戒国」に列挙されるほど感染を広げるに至った。
水際対策の失敗をもたらしたのは、安倍首相が4月に国賓として迎えることになっていた習近平に忖度したからだ。2月28日には中国の外交トップである楊潔●(ようけつち)と会談して習近平の国賓訪日は「日中両国関係にとり極めて重要だ」と述べている。さすがに4月の訪日は延期の方向となったものの、国賓としての招聘(しょうへい)はまだ諦めていない。
新型肺炎の世界的パンデミックが示す通り、忖度と言論弾圧によって成立している中国共産党による一党支配体制は人の命を奪うということを人類に知らしめた。諸悪の根源の頂点に立っている習近平に忖度して日本人から平穏な日常生活を奪い、日本人にここまでの恐怖とダメージを与えているのは安倍首相だ。
この根本的な姿勢を日本が変えない限り、今となってはもう何をやっても遅い。日本国を犠牲にするのみである。
そもそもなぜ安倍首相は習近平を国賓として招聘しようなどと考え始めたのか、そのからくりと罪深さを田原総一朗氏と徹底して激論を交わした記録が『激突!遠藤vs.田原 日中と習近平国賓』だ。田原氏は中国礼賛の立場から自民党の二階幹事長などに習近平国賓招聘を勧めたそうだ。中国では各国の政権与党要人や主たるメディア関係者にターゲットを絞り洗脳していくことを国家戦略としている。その罠(わな)に嵌(はま)っていることに気付かなければならない。
●=竹かんむりに「褫」のつくり