オーウェルの小説「一九八四年」が現実化

《 記 者 の 視 点 》

リベラル派の「ポリコレ」が思考を統制

 東京ディズニーランドと東京ディズニーシーが「レディース・アンド・ジェントルメン、ボーイズ・アンド・ガールズ」という園内の英語アナウンスをやめ、「ハロー・エブリワン」などの表現に変えたという。

 性の多様性に配慮する社会風潮を踏まえたものだが、米国のリベラル勢力が推進する「ポリティカル・コレクトネス」(政治的に正しい言葉遣いをしようという運動、以下ポリコレ)が、日本でも猛威を振るい始めたことに暗澹(あんたん)たる思いになる。

 そもそもリベラル勢力はなぜ、このような言葉狩りを推し進めるのだろうか。実は、70年以上前にその狙いを鋭く説明した人物がいる。英国の作家ジョージ・オーウェル(1903~50年)だ。全体主義的ディストピア(ユートピアの正反対の社会)を描いた49年発表の小説『一九八四年』に、特定の言葉を無くす目的を解説した部分がある。

 主人公のウィンストンはある日、食堂で言語学者の友人サイムと出くわす。サイムは「ニュースピーク」と呼ばれる新たな言語体系の辞典編纂(へんさん)に携わっており、語彙を徐々に減らす意義をウィンストンに熱っぽく語るのだ。

 「ニュースピークの目的は思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には<思考犯罪>が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現することばがなくなるわけだから」

 言葉を統制すれば、思考も統制できる、というのである。サイムはその上で、「言語が完璧なものとなったときこそが<革命>の完成」と言い切るのだ。

 ディズニーランドが使用をやめた紳士、淑女、少年、少女、さらに父、母、息子、娘といった性別を表す言葉がなくなれば、いずれ男女という性別の概念そのものがなくなっていく。最終的に人々の思考までも変えてしまうことがポリコレを推し進めるリベラル勢力の目的なのだ。

 現在の世代では、父、母、息子、娘といった言葉が無くなるということなど想像もつかない。だが、ポリコレ全盛の社会環境で育つ次世代の間では、性別を表す言葉への抵抗感が少しずつ広がっていく可能性がある。

 『一九八四年』では、独裁者「ビッグ・ブラザー」率いる党に忠実だったサイムも、その後、「蒸発」してしまう。何らかの理由で党に不都合な存在となり、消されてしまうのだ。

 トランプ前米大統領のツイッターアカウントが閉鎖されたように、米国ではリベラルな価値観に反する言動をした人物を社会から排除する「キャンセル・カルチャー」が吹き荒れている。『一九八四年』のように物理的に消されることはないものの、異論を唱える者は社会的に消される風潮が生まれている。

 監視カメラや情報技術で国民を監視統制する現在の中国を『一九八四年』で描かれた社会になぞらえる指摘がよく聞かれる。だが、米国や日本など自由世界でも、人々の思考を統制しようとする風潮が押し寄せている現実を、われわれは直視しなければならない。

 編集委員 早川 俊行

(サムネイル画像:Wikipediaより)