ロシアの野党指導者暗殺でチェチェン現役軍人逮捕

 プーチン大統領を批判してきた野党指導者、ボリス・ネムツォフ元第一副首相が先月27日、モスクワ中心街で暗殺された事件で、実行犯と黒幕をめぐり、さまざまな見方が飛び交っている。このような中で、チェチェン共和国カディロフ首長の元私兵組織メンバーで、現在は同共和国内務省部隊の現役軍人が容疑者として逮捕された。捜査をめぐり、カディロフ首長と、プーチン大統領側近の治安関係者らが対立しているとの見方も出ており、事件の真相は闇の中だ。(モスクワ支局)

くすぶる陰謀説、政権の内部対立も

プーチン大統領、困難な立場に</>

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暗殺されたロシアの野党指導者ボリス・ネムツォフ氏=2012年4月、モスクワ(EPA=時事)

 クレムリンのすぐ近く、モスクワ川に架かる橋の上でネムツォフ氏が射殺されてから3週間がたとうとしている。誰が実行犯か、誰が黒幕か、ネムツォフ氏暗殺は誰にとって都合がいいのか、ネムツォフ氏がロシアのウクライナ軍事介入に抗議する「反戦デモ」を行う直前に暗殺されたのは偶然なのか――。ロシアのマスコミでは、政治学者や評論家などがさまざまな見方を示している。

 政府系メディアが流したのは、米国が関与したとする説。ウクライナ問題をめぐる対露制裁で、ウクライナへの武器供与にも言及する米国と、ロシアと経済的に結びつきが強い独仏には温度差がある。ネムツォフ氏暗殺でプーチン政権のイメージを悪化させ、独仏がロシアに接近することを難しくして米国主導の対露包囲網を強化するため、という見方だ。

 政府系メディアは、ウクライナの諜報機関が関与したとする説も流している。ネムツォフ氏はウクライナ政府から秘密裏に資金提供を受け、ロシア国内で反プーチン運動を展開してきたが、それがうまくいかないことに不満を持ったウクライナ政府が、ネムツォフ氏を殺害した、というものだ。

 このほか、ネムツォフ氏のビジネス上の競争相手が黒幕、という説や、女性関係のもつれ、という説まで出ている。

 このような中で急浮上したのが、ネムツォフ氏暗殺の黒幕はチェチェン、との見方である。連邦保安局(FSB)のボルトニコフ長官は7日、ネムツォフ氏暗殺の疑いでチェチェン共和国内務省所属の現役軍人であるザウル・ダダエフ容疑者ら5人を拘束したと発表した。

 ダダエフ容疑者は内務省部隊「セーベル(北)大隊」の連隊副司令官。この部隊はチェチェンのカディロフ首長の私兵組織として2006年に創設され、のちに改組されたもの。ダダエフ容疑者はカディロフ首長に最も近い人物の一人だ。

 カディロフ首長はダダエフ容疑者の拘束に衝撃を受けたようで、自らのインスタグラムで13日、次のように語った。「私は彼が真の戦士で愛国者であることを知っている。彼は長年ロシアのために自らの命を危険にさらしてきた。ロシアに反逆するようなことができるはずがない――」

 ダダエフ容疑者がクロとなれば、首謀者としてカディロフ首長に疑いの目が向く可能性は否定できない。ダダエフ容疑者らは当初、殺害を認める供述をしたとされるが、カディロフ首長のこれら投稿の後、一転して否認に転じている。FSBなどロシアの治安機関が「チェチェンの関与」との見方を示した理由として、政治学者や評論家などは、政界で影響力を増すカディロフ首長を牽制するため、との見方が強まっている。

 ロシアからの独立を目指し、第一次、第二次チェチェン紛争を招いたチェチェン共和国と、チェチェンが位置する北カフカスは、ロシアを不安定化させる火薬庫のような地域だ。ロシア政府は内務省軍を投入し独立派武装勢力を制圧したものの、多くのロシア人の若者が犠牲となった。制圧後もチェチェンは不安定であり、治安維持にあたるロシアの警官らが殺害される事件が相次いだ。

 このためプーチン政権は、プーチン大統領に忠誠を誓うチェチェン人のカディロフ首長に、半ば治外法権的な権力を与えて独立派を封じ込め、チェチェンを「間接統治」する方法を選んだ。このため、プーチン大統領もカディロフ首長の意向に配慮せざるを得ず、カディロフ首長の政治力は増大しつつある。

 プーチン政権の中には、治安機関関係者などを中心に、これを面白く思わない勢力がある。その彼らがダダエフ容疑者拘束を通じて、カディロフ首長に対する巻き返しに出たのでは、との見方が出ているのだ。

 だが「チェチェン関与説」は、プーチン政権にとって極めて難しい問題をあぶりだしかねない危険性をはらんでいる。

 プーチン政権は「ウクライナ政府の圧制からロシア系住民を守る」との名分を掲げ、「クリミア半島住民の民族自決の原則」に則り、住民投票を通じてクリミアをウクライナから切り離し、ロシアに併合した。ならばもし、チェチェンが再び「民族自決」を掲げてロシアからの独立に傾いたとき、どのような大義名分でこれを阻止するのか。

 このため、プーチン大統領はカディロフ首長を敵に回すことはできない。ネムツォフ氏暗殺の疑いでダダエフ容疑者が拘束され、「チェチェン関与説」が広がる中の9日、プーチン大統領はカディロフ首長に「長年の功労」をたたえ名誉勲章を授与した。ロシア大統領府のペスコフ報道官は、ダダエフ容疑者拘束とカディロフ首長への名誉勲章授与の時期が重なったことについて、偶然との見方を示したものの、「何らかのつながりがある」との憶測は広がっている。

 いずれにせよ、政府側メディアから主な野党勢力に至るまで、ほぼ一致している観点は次の通りだ。「ネムツォフ氏は政敵として、プーチン大統領に大きな打撃を与えるほどの存在ではなかった。逆に、ネムツォフ氏暗殺事件は、プーチン大統領を困難な立場に追いやり、欧米にロシアを非難する材料を与える結果となった――」。