「帝国」のプライドぶつかるトルコとロシア

多難な年明けのトルコ(2)

 トルコを訪れるロシア人は、ソ連解体前後の“爆買ツアー”からこの四半世紀の間、右肩上がりに増え続け、年間450万人に達すると報じられた。ロシアは強権を発動できる国柄で、制裁措置に基づくトルコ旅行禁止は相当徹底しているとみられる。日本を訪れる年間500万人近い中国人旅行者が全部来なくなった状況に近いかもしれない。トルコ企業によるロシアへの建設・インフラ輸出も着実に拡大してきたが、ロシア側はそうした流れをほぼ全面的にストップさせかねない剣幕だ。

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トルコのエルドアン大統領(左)とロシアのプーチン大統領2014年12月、アンカラ(AFP時事)

 ロシアとトルコと言えば、第1次世界大戦前後まで大帝国を経営してきた民族同士だ。前者は共産革命で、後者は大戦敗北をきっかけに帝国が崩壊した。それから100年余りを経て、帝国時代のプライドや権勢を一番体現しているようなロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領が強い指導力を発揮している。どちらかが先に頭を下げるのはなかなか難しそうだ、との見方が強い。

 近代トルコの初代大統領の名前を付けたイスタンブールの「アタチュルク国際空港」に、記者が降り立ったのは、このロシア・トルコ間の緊張がエスカレートし始めた頃だった。同空港は世界的なハブ空港なので、そんな緊張を感じさせないにぎわいだった。中東、欧州、旧ソ連圏、アジア、アフリカを結ぶ旅客機が、5分から10分間隔で発着していたし、トルコ航空の旅客機が多数、隊列を組むように駐機していた。乗り継ぎロビーには深夜にもかかわらず、世界中の旅行者で混雑し、広々としたエリアに軒を並べる免税店で、土産物や高級品のショッピングに余念がなかった。

 トルコ航空の機内誌を開くと、日本・トルコ共同制作の映画「海難1890」のことが、多くのページを割いて取り上げられていた。この映画は、明治の中頃、和歌山県串本沖で発生したオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」の海難事故の際、救助に尽力した村民たちの史実と、その約100年後のイラン・イラク戦争のさなか、イランに取り残された形の日本人約200人をトルコの航空機が脱出させてくれたエピソードを、ドラマ仕立てに連結したものだ。

 どちらのストーリーも苦境に陥った人々を国を超えて救う感動的なものだ。後者の事件の際には、エルトゥールル号の歴史から日本人に恩義を感じていたトルコのオザル大統領(当時)が、危険を覚悟して日本人救助を決断したという、泣かせるエピソードも描かれている。

 日本語版映画の冒頭にエルドアン大統領が登場し、両国の友情を高く評価し、今後の相互協力に期待を述べている。本来はこの映画がさまざまな分野で両国関係を飛躍させるはずだったが、こと観光分野に関しては、険しい中東情勢に由来する不可抗力で、残念ながら当分は期待外れになりそうだ。

(世界日報元トルコ特派員・山崎喜博)