多難な年明けのトルコ、ダブルパンチの観光業

多難な年明けのトルコ(1)

 「やはり来るべきものが来ました!」、トルコのイスタンブールで主に日本人旅行者を相手にする観光会社に務めていた知り合いの日本人女性から、「解雇されそうです!」と連絡があった。彼女いわく、同じような会社の多くが青息吐息だという。そうした事態を予感させられたのは、昨年12月初め、2年ぶりにトルコ取材に赴いたときだ。成田・イスタンブールのトルコ航空を利用したが、機内に日本人の姿が非常に少ない。特に、団体旅行グループがほとんど見あたらないのだ。

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昨年11月24日、トルコ・シリア国境付近でオレンジ色の火を吹き上げながら墜落するロシアの戦闘機SU24(EPA=時事)

 トルコは年間約17万人の日本人が訪れる、中東地域では一番人気の旅行先だ。国内の随所に、古代ギリシャ文明・キリスト教・イスラムという三文明を代表する遺産があり、日本人にとって異文化体験を、比較的安価に楽しめる目的地なのだ。いつのフライトも団体客が多く、成田・イスタンブールの直行便は年々増便されてきた。もちろん日本人だけでない、観光はトルコの主要産業で、同国を訪れる外国人旅行者は年間3500万人と言われる。

 ところが過去5年間、トルコの南に国境を隔てるシリアで内戦が続いている。その内戦状況から漁夫の利を得る形で台頭し続ける「イスラム国(IS)」は、トルコ国内でもテロを始めた。日本の外務省も、トルコ旅行に注意喚起をしている。

 10月10日には首都アンカラで100人以上の犠牲者を出すテロ事件が起こり、12月12日にはイスタンブールの「歴史地区」と呼ばれ名所旧跡がひしめく場所で、主にドイツ人観光客ら10人が犠牲になるテロが起きた。冒頭の女性は、「これで当分、トルコ観光は立ち上がれません!」とつぶやいた。日本のイスラム団体の関係者も、「ISのやり口は、実に戦略的だ」と、ため息交じりに語った。

 もっともトルコの現代史で、断続的なテロ事件は珍しいことではない。いささか単純化して言えば、1950年代にはアルメニア系の報復テロがトルコの外交官などを襲い、70年代には左翼革命を指向する暴力活動、80年代にクルド人ゲリラの分離自治を掲げた武装闘争が頻発した。こうした事件のたびに観光業は打撃を受け、やがて喉元を過ぎていった。その復元力は多人種・多文化国家ならではの強靱(きょうじん)さかもしれない。

 目下、テロ以上に明瞭かつ実質的に旅行客が減っている原因は、ロシアによる対トルコ制裁だ。11月24日にトルコ空軍機が、シリア国境近くを飛行していたロシア空軍の戦闘爆撃機1機を、「不明機による領空侵犯」を理由に撃墜した。ロシアのプーチン大統領は激怒し、トルコとの貿易、金融、人の往来を停止または大幅に制限させ、断交の一歩手前、あわや軍事衝突か、というところまで悪化させた。

(世界日報元トルコ特派員)