見出しは配慮に欠けたが批判した作家も自家撞着のポスト韓国特集
◆記事自体は問題なし
週刊ポスト(9月13日号)の特集「韓国なんて要らない!」がインターネット交流サイト(SNS)で批判され、同誌に執筆している作家らからもボイコットの声が出て、編集部は「配慮に欠けていた」と公式サイトで謝罪した。
特に批判が集中したのが「怒りを抑制できない『韓国人という病理』」の記事で、これが「ヘイト」に当たるという批判が多かった。だが筆者はどうしても解せない。記事で指摘されているのは既に韓国で2015年に「大韓神経精神医学会」が発表したリポートで、それを紹介したにすぎず、これが「民族ヘイト」「差別扇動」だとすると、韓国では自ら自国民を「ヘイト」していたことになるのだが…。
小紙でも姉妹紙の韓国セゲイルボの記事の翻訳を紹介した(15年3月19日付)が、医学会の発表を受けて、中央日報はじめ韓国各紙が報じた内容だ。医学会のリポートによると「韓国成人の半分以上が憤怒調節に困難を感じており、10人に1人は治療が必要なほどの高危険群である」というもの。この症状を「憤怒調節障害」(医学的な診断名は「間歇(かんけつ)性爆発性障害」)という。
確かに、財閥の家族が従業員に切れて暴言、暴力を振るっているニュースや、「NO安倍」デモで日章旗や安倍首相の写真に火を付け、切り裂いて踏み付けている様子は日本人にとっては驚きの光景だ。
そこで記事の主旨を見ると、日韓問題が不如意な中で相手がどんな人々なのかを知ることから始めようというもので、「韓国社会の構造を理解した上で、改めて付き合い方を考える必要があるのかもしれない。相手の性格を踏まえて、心地良く冷静な距離感を互いに決めて行く――それは個人間でも国家間でも幸せな関係を築くための知恵である」と結んでいる。これのどこが問題なのだろうか。
◆「要らない」は全否定
ただし、ポストがなぜ批判されたかを考えると、特集の見出しが悪い。「韓国なんて要らない!」は、たとえ韓国のデモやSNSで同じようなことが日本に対して言われていたとしても、日本は韓国のような言語環境や思考回路ではないのだから、使うべきではなかった。「要らない」は全否定である。人目を引く見出しは週刊誌のスタイルとはいえ、今回は確かに「配慮に欠けた」と言わざるを得ない。
「配慮」という点で言えば、どこまでは許され、どこからはアウトなのかが曖昧だ。週刊新潮(9月12日号)では、韓国人の性格を「鍋根性」と紹介している。「鍋でラーメンなどを熱すると、すぐに沸き上がるが、あっという間に冷めてしまう、という意味で、要は、韓国人が熱しやすく冷めやすいことを言い表した言葉だ」という。また「韓国は、『憲法ではなく国民情緒法が国を動かす、と自認する国』」と紹介されている。いずれも否定的な評価だ。まして国民情緒法は、つまり法治国家でないと言っているに等しい。
◆商売次元の判断働く
しょせん、「ヘイト」かどうかは、受け取る側の判断で決まるところがある。自分が自身に対して言ってもヘイトにならず、他人が言えばヘイトになる。人間心理を考えればうなずける。
ただし、今回作家らが批判したのには首をかしげざるを得ない。彼らは自身の発言や文章が否定されれば、「表現の自由」を盾に反発するだろう。相手が不快に思おうがなかろうが関係ない。言論の自由は絶対に守られなければならないと言うに違いない。ならば、品がいいか悪いかは別にして、日本で確認すらもされていない(つまり評価が存在しない)「障害」について、それを取り上げれば「ヘイト」だというのは自家撞着(どうちゃく)ではないか。
あっさり謝ってしまったポストには批判の声も上がっている。自誌に書いている作家からの圧力に屈したのだとすれば、ヘイトだ、言論の自由だ、の前に商売次元の判断があったのかと思わざるを得ない。
(岩崎 哲)