分岐点に立つ政府と検察の積弊清算作業
文在寅(ムンジェイン)政府と検察の積弊(積み重なった弊害)清算作業が分岐点に立っている。あちこちで“抵抗のバリケード”が築かれ、保守系メディアは「過度な捜査ではないか」と問い詰め、「積弊清算を装った政治報復」だと批判する。
自由韓国党は捜査を導く尹碩列(ユンソギョル)ソウル中央地検長に「辞任せよ」と迫った。積弊清算に事実上、反対する彼らの意図と戦略が分からないではないが、“政治報復”フレームはかなり効果的だ。社会改革と進歩のための陣痛でなく、変装した報復ではないのかという疑いだ。
最近では一部中道的なグループからも憂慮の声が少しずつ上がっている。彼らは検察捜査が“過剰捜査”“底引き網式捜査”だと批判する。すなわち責任者だけを処罰すれば良いものを一網打尽にするのは危険だということだ。
あれこれ検察の悩みは深い。積弊清算捜査が“ろうそくデモの精神の崇高な執行”と理解されるのか、でなければ、また別の政治報復と評価されるかは、検察の今後の取り組みに懸かっているからだ。瑞草洞(検察)から目を離すことができない理由でもある。
まず、文在寅政権と検察は、真実は徹底的に暴いて犯罪は厳しく問うものの、人権を尊重した捜査を行わなければならない。合わせて捜査は迅速に進めなければならない。いくら良い改革も疲労が累積すれば支持や動力は落ちて拒否感や抵抗感は大きくなる。
根本的に積弊清算捜査以後、検察自らが変わらなければならないだろう。積弊清算の捜査が誤解を受けるのはさまざま理由があるだろうが、その中の一つはまさに権力に便乗した検察の歴史や過去のためだ。権力と「近からず遠からず」の原則を堅持しなければならない。
(キム・ヨンチュル社会部次長、11月20日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。