政府は亡国の道を進むのか


韓国紙セゲイルボ

清の侵攻後も国力醸成怠る

 仁祖(インジョ)は「三田渡の屈辱」(1637年、清への降伏)以後も13年間王座にあった。朝廷内の主戦派と融和派は清への降伏後も権力の地位を保った。王と重臣は国を守るのに失敗しても生き残るが、多くの民は彼らのために死んだ。
 王と重臣は2度の清の侵略を受けながら、国家安保危機に十分に備えなかった。北方で清の勢力が台頭し、明の国運が傾いた時、状況変化に合わせて、対外戦略と路線を修正するべきなのに、彼らが守ったのは自分たちの安全と王朝一族の栄光だった。国境守備隊を、近衛兵として呼び戻す愚まで犯している。

任鍾晳氏

2日、ソウルの韓国大統領府で、セウォル号沈没事故をめぐる工作疑惑について発表する大統領府の任鍾晳秘書室長(時事)

 誰でも恥辱にあえば、2度と受けないように固く決心する。支配勢力は当然、国家を革新し、国力醸成に傾注しなければならない。しかし、彼らは変わらなかった。

 「丙子胡乱(清の侵攻)以後、官吏階層は名分と理論を重視し、画一的な性理学に没頭し、逃避先を探した。国を改革しなければならない時に、政党や理念が違えば異端者だと罵倒した」(鄭秉錫(チョンビョンソク)『朝鮮はなぜ崩れたのか』)。

 歴史は繰り返す。旧韓末、朝鮮の滅亡は三田渡の屈辱のコピー版だ。激動の世界の変化には目を瞑(つむ)り、一握りの権力、一族の派閥勢力を守ることに汲々とした。ほぼ同じ時期の日本と比較すると、朝鮮指導層の危機管理リーダーシップは0点だった。

 当時、日本にも攘夷論があったが、朝鮮指導層のように思弁的で道徳教科書のような論議は行わなかった。「蛮夷と対抗しようとすれば、積極的な海外進出と貿易開始で富国強兵しなければならない」と議論した。外部勢力の挑戦に主導的に立ち向かい、禍を転じて福となす機会にすることに集中したのだ。

 北朝鮮の核武装、米国の「アメリカファースト」、日本の対米密着加速化、中国のサード報復、ロシアの南下政策が韓半島周辺で連日衝突している。

 こうした危機状況で10年、20年後の国家安全と危機を見通すことができず、右往左往するのは亡国の道だ。政府の外交安保ラインを刷新して、能動的で積極的に日本、米国と手を取って、国力を養成しなければならない。

 文在寅(ムンジェイン)大統領と大統領府の参謀たちは朝鮮がなぜ失敗したのか、日本がどのように強い国になったのかを詳細に調べてみる必要がある。

(白永喆(ペクヨンチョル)論説委員、10月13日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。