朴槿恵氏、任期半ばで韓国大統領罷免

父親の威光 汚点残る落日
疎通不足、強硬な「反日」…弾劾で幕切れ

 憲法裁判所の弾劾妥当判決で任期1年余りを残し大統領職を罷免された韓国の朴槿恵氏。国政介入事件という特大級スキャンダルが発覚し支持率は前代未聞の0%まで落ち込むなど最後は機能不全状態だったが、北朝鮮の威嚇には毅然(きぜん)と対処し、日韓関係では成果も挙げた。朴大統領の4年間を振り返る。
(ソウル・上田勇実)

日韓軍事協定では成果
「慰安婦」未完で負の遺産も

 朴氏が2012年の大統領選に挑んだ際、朴氏支持の保守系有権者たちは「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長の礎を築いたと評価される朴正煕(パクチョンヒ)元大統領を彼女の姿にダブらせ、期待していた。朴氏自身もそうした父親の“七光り”を意識するかのように大統領就任式の演説で「第二の漢江の奇跡」を起こすと約束した。

朴槿恵

韓国の朴槿恵前大統領=2015年10月、ソウル(EPA=時事)

 また韓国初の女性大統領として母親の立場から民生を助けると宣言し、財閥一人勝ちなどで広がり続ける所得格差を是正する「経済民主化」を公約に掲げた。

 だが、こうした経済再建への意気込みはすぐに他の問題に掻(か)き消されてしまった。朴氏が抱える個人的な課題や偏った外交方針に対する批判の声が国内外から聞かれるようになったためだ。

 まず指摘されたのが側近人事や重要な政策決定を周囲と相談せずに一人で決めてしまう疎通不足。次にいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる「反日」路線だ。

 特に「反日」は慰安婦問題で日本側が「善処」しない限り首脳会談には応じない姿勢を崩さなかったり、第三国で日本を批判する「告げ口外交」をし、日本側にかつてない「嫌韓」感情が広がった。日本に知人が多かった朴元大統領の娘だからという期待はもろくも崩れ去り、日韓関係の悪化は戦後最悪とまでいわれた。

 就任2年目に入ると南西部・木浦(モッポ)沖で大型船セウォル号沈没事故が発生し、これを機にしばらく国政運営は麻痺(まひ)した。

 事故は修学旅行中だった高校生2年生が多数犠牲になった痛ましい出来事だったが、野党陣営を中心とする反政府勢力がありもしない朴大統領の直接的責任を追及したり、捜査が終わったはずの真相究明を求めた。狙いは事故の政治利用で、遺族の悲しみを朴政権への憎悪に結び付け、世論の同情を買おうというものだった。

 この事故では船が沈んでいった時間帯に朴大統領がどこで何をしていたか誰も分からなかった、いわゆる「空白の7時間」をめぐりさまざまな臆測が飛び交った。これをネタにしてコラムを書いた産経新聞元ソウル支局長が出国禁止・在宅起訴(後に無罪判決)される事態にも発展した。

 一方、あれほど悪化した日韓関係では最終的に成果を挙げたものもある。北朝鮮の軍事的挑発を念頭に置いた軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結だ。

 GSOMIA締結は絶妙のタイミングだったといえる。これは日本との軍事協力にアレルギーがある韓国世論に気兼ねしてこれまで締結できずにいたもので、韓国国政介入疑惑が広がり、これ以上批判されようがないほど反朴大統領感情一色だった時に逆に一気呵成(かせい)に締結まで持ち込んだようだ。世論反発で韓国側が締結式直前でキャンセルした李明博(イミョンバク)前政権の「やり残した宿題」を片付けた格好だ。

 さまざまな課題や批判がありながら持ち堪(こた)えてきた朴氏だったが、最終的に朴氏支持者でさえ擁護し切れない国政介入事件が致命傷となり、弾劾されるという不名誉な結果に終わったわけだ。だが、問題はまだ続いている。朴氏が残した負の遺産だ。

 まず、国内保守の分裂と壊滅的没落をもたらしたこと。5月上旬にも実施される次期大統領選で革新系候補の優勢が伝えられているが、革新系に政権交代された場合、親北反米反日路線の復活が予想され、北東アジア情勢の混乱は必至だ。

 そして日韓「慰安婦」合意の履行が未完に終わった。合意白紙化を主張する革新政権に付け入る隙を与え、韓国側がこの問題を蒸し返す恐れがある。