ギリシャに劣らなかった韓国の“悲劇”


韓国紙セゲイルボ

責任転嫁の連鎖がもたらす危機

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5日、アテネ中心部の議会前のシンタグマ広場に集まり、国民投票で財政緊縮策への反対票が優勢なことに熱狂するギリシャ市民(AFP=時事)

 ギリシャに悲劇が続いている。アテネの中心シンタグマ広場。意味は「憲法」だ。先週初め、そこには「OXI(オヒ=ギリシャ語でノー)」でぎっしり埋まった。国際債権団が要求した緊縮案への反対票が多数を占めたことに歓喜した姿だった。

 チプラス首相は、「民主主義は脅迫されない」と勝ち誇った。だが混乱する。誰がギリシャ民主主義を脅迫したのか。莫大(ばくだい)な借金を抱えた国、失業率25・7%に貧困が疫病のように広がる国。反対票を投じたり、政治扇動の華麗な修辞を叫べば、貧困を追い落とすことができるだろうか。

 悲劇は、誰もが「自分の腹を満たす」ことを先に考えて、破綻した財政は「相手のせい」だと叫ぶ現実だ。それで国を再建できるのか。金を貸す人は背を向けないだろうか。息子娘世代がさらに貧しくならなければ幸いなところだ。

 ギリシャの悲劇は「昨日のわれわれ」の姿だ。18年前、韓国もギリシャに劣らなかった。外国為替危機が迫った1997年、何をしたのか。国が不渡りになるところに、皆が「自分の腹を満たす」ことに忙しかった。全国が争いの場だった。政争に埋没した政治は国を生かす法案一つ処理しなかった。労組は構造調整に対抗して連日デモをした。

 中央銀行はどうだったか。風前の灯(ともしび)のような国の運命を前に、「銀行監督院を分離する金融改革に反対する」として鉢巻きを巻いて国会や道路に溢(あふ)れた。

 国際金融市場では、「韓国銀行を見ると、韓国はこれ以上救済されるのが難しい」と言われた。その後さほどせずに国は不渡りになった。

 全国で「金」集め運動が起こった。だが、その後どれほど韓国は反省できたのだろうか。政争に明け暮れる政治家、蔓延(まんえん)する腐敗、歪(ゆが)んだ借金経営、通りに飛び出した中央銀行…。どこの誰も「私の誤りだった」と言う人はいない。その時、正しく反省できなかった。責任の擦(なす)り付け合いは今でも続いている。

 国の借金は増えるのに、「国民年金を増やせ」と叫び、公務員年金改革には両手を挙げて反対し、金を借りても福祉を強化しなければならないというポピュリズム。金はあるのか。政争は日常化されて久しい。ギリシャと何が違うのか。

 危機は遠くにあるのではない。中国経済までがひどく揺れている。危機は近い。また「金」集めをすることになるのか。

(姜浩遠〈カンホウォン〉論説委員、7月14日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。