日本の地方自治体と韓国の違う点


韓国紙セゲイルボ

地域の反乱は多様性の証明

 地域はその数の分だけ可能性が無尽蔵だ。各地域は長時間、それぞれの気候と風土、人情などに基づいた多様な世界をつくってきた。時に生活の中に密着した生命力で中央(政府)を動かしたりもする。地域が“希望の根拠”である理由だ。

 日本列島が満開の桜に酔っていた4月初め。静岡県の川勝平太知事(65)は浜岡原子力発電所で推進されてきた「プルサーマル」方式原発計画を白紙に戻すと宣言した。

 プルサーマル原発は使用済み核燃料を再処理して抽出したプルトニウムとウラニウムを混ぜた「混合酸化物」燃料を使う方式だ。

 彼の決断は原発事故が起こり、再処理核燃料の危険から住民たちを守るという考えからだったが、結果的に原発再稼働と「核燃料サイクル」政策を固守してきた安倍晋三政権への打撃となりそうだ。

 すなわち、プルサーマル原発の建設およびメンテナンスが不透明になり、これは核燃料サイクル政策全般に負担を与える。川勝知事が政府の原発政策を根底から崩してしまったことになる。

 静岡のように日本では“地域の反乱”をしばしば見ることができる。青森県で推進中の大間原発の建設中断訴訟を起こした北海道函館市、地域アイデンティティーを守る教育のために政府に対抗して2年になる人口約6000人の沖縄県竹富町…。

 明治維新の主導勢力は東京から1000㌔以上離れた薩摩藩と長州藩だった。1970、80年代、各種福祉政策を先導したのも中央政府でなく地方自治体だった。

 日本で地域の力は政府および政党から独立した自治と分権から出てくる。地方議員の70%以上と地方首長の99%が無所属であることがこれを証明している。広域団体長も90%以上が無所属だ。政党は公認できず「推薦」または「支持」だけで関与するしかない。

 一方、最近、地方選挙での公認・推薦をしないという試みが再び挫折するなど、韓国の地方自治は相変わらず浅はかだ。地域(の特色)の欠乏は各分野でマイナスの効果として現れたりもする。

 丁酉再乱(慶長の役、1598年)の時、日本に連れて行かれ、朝鮮の陶磁器を継承発展させてきた沈当吉(シムダンギル)の15代子孫・沈壽官(ちんじゅかん)が、「韓国は陶磁器をはじめとして、芸術の傾向と特徴が時代によって画されているのに対して、日本は時代でなく地域により特徴づけられたようだ」と指摘したのも、これと無関係ではないだろう。

 類例のない中央集権社会である韓国に数多くの多様性を持つ地域を復活させるのは、まだ遠い未来のことだろうか? 東京では一面に散った桜の花びらの傍らで新しい生命が青く芽生えているというのに。

(金湧出〈キムヨンチュル〉東京特派員、4月14日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。