韓国与党大統領候補 「親日派」の次は「全斗煥の末裔」
全氏死去で保守にレッテル
光州事件鎮圧を政治利用
先日死去した韓国の全斗煥元大統領が、1980年に南西部の光州で起きた反軍事独裁デモを鎮圧する過程で多数の死傷者を出した光州事件について最後まで謝罪しなかったことなどをめぐり、革新派が全氏の流れを汲む保守派への批判を強めている。来年3月の次期大統領選を前に、政治利用しようという思惑もありそうだ。
(ソウル・上田勇実)
影薄い反共の功績
「民正党(全氏が大統領就任後に結成した民主正義党の略)は軍事反乱勢力がつくった党。その末裔(まつえい)が(最大野党の)『国民の力』であり、その勢力が権力を奪おうと発悪している。彼らは事実上、全斗煥の末裔たちだ」
革新系与党「共に民主党」の次期大統領候補、李在明・前京畿道知事は先日、ユーチューブの番組でこう述べた。
大統領選では国民の力の候補である尹錫悦・前検事総長との事実上の一騎打ちが予想される。李氏としては、全氏の死を利用して有権者に光州事件の記憶を呼び起こさせ、尹氏のイメージをダウンさせたいようだ。
事件を鎮圧した全氏に対する世論の認識は、40年以上たった今なお極めて厳しい。そのため尹氏は最初、弔問に行く意思を明らかにしていたが、周囲に反対され弔問を諦めたほどだ。韓国では「親日派」とみられることは社会的抹殺を意味するに等しいが、「全斗煥の末裔」と呼ばれることもタブー視されるのは想像に難くない。
李氏は今年7月、韓国の建国と関連し「親日清算をできず、親日勢力が米占領軍と合作して再びその支配をそのまま維持した」などと発言し、物議を醸したばかり。まるで「親日派」の次は「全斗煥の末裔」と言わんばかりの、保守派に対するレッテル貼りである。
与党も特に事件があった光州がある全羅道から選出された議員たちは、尹氏を「全斗煥を敬う、反逆に加担した者」と強く非難。革新系のハンギョレ新聞は社説で、尹氏が「全元大統領は軍事クーデターと5・18(光州事件)さえ除けば、それこそいい政治をしたという人は多い」と言ったことについて「全斗煥に対する歴史的評価を逆戻りさせようという退行的動き」と指摘した。
韓国では親日派を擁護しづらいように、今は全氏を擁護しにくい社会的ムードがある。保守系各紙もこぞって社説を出したが、「現代史の傷跡…謝罪なく逝った」(東亜日報)、「許されないまま逝った」(中央日報)など贖罪の在り方に焦点を当てたものが多い。
最大手の朝鮮日報は、光州事件の被害者でもあった金大中元大統領がかつて全氏について「罪は憎めど人は憎まず」と述べたことを引き合いに出し、「全元大統領の死とともに韓国社会も対立と葛藤、傷を超える道へ進むのを望むばかりだ」と主張した。功績を存分に評価する代わりに未来志向を説くのが精一杯だったようだ。
そうは言っても、保守派の中には全氏を高く評価する人も少なくない。光州事件を直接取材したこともある趙甲済・元月刊朝鮮編集長は全氏の弔問を終えた後、記者団に「後に歴史が今よりはるかに(全氏を)好意的に評価するだろう。むしろ全元大統領を歴史から消そうとする人たちが消されるだろう」と述べた。全氏バッシングに傾く革新派をたしなめたものだ。
軍事独裁という暗い側面があった一方、全氏は北朝鮮の脅威に毅然(きぜん)と立ち向かった反共主義の指導者でもあった。任期中、自身も訪問中のビルマ(現ミャンマー)で危うく暗殺されかけたラングーン事件(83年)や大韓航空機爆破事件(87年)など北朝鮮工作員による大型テロが相次いだが、日米との連携などを通じて各種挑発に対抗した。
ただ、全氏の死を受け、その反共の功績が語られることはあまりない。日米韓の安保協力に公然と異を唱える李在明氏が大統領の座を狙っているのが韓国の現状だ。