国際的行事で誰を紹介するのか 韓国文化人「小成」の理由


韓国紙セゲイルボ

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ソチのパホモフ市長(左端)から国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長(同2人目)を介して手渡された五輪旗を振る平昌の李錫来郡長=23日、ロシア・ソチ(AFP=時事)

 今回のソチ冬季オリンピック開会式の場面は気楽に鑑賞することができなかった。われわれの憂鬱で苦しい自画像とあまりにも強烈に対比され息苦しかったからだ。

 ロシアのアルファベット33を紹介する開会式の場面は筆者を精神的恐慌に追い詰めた。アルファベット順に呼ばれる人物たち。ドストエフスキー、プーシキン、小説「ロリータ」の作家ナボコフ、チュコフスキーらの文学者、画家のカンディンスキー、シャガール、マレヴィッチ、音楽家チャイコフスキー、映画監督エイゼンシュティン、周期律表の作成者メンデレーエフら11人を超えた。

 全体の3分の1、33%を作家、詩人、画家、音楽家、科学者など文化芸術家と学者を国家のイメージとして打ち出した。その中に権力者や革命家はいなかった。レーニンさえ拒否された。

 ふと4年後の韓国の現実はどうだろうかという考えが頭をよぎった。われわれは2018年平昌冬季五輪の時、ハングル24子音と母音により、誰を世界に向けて紹介することができるだろうか。そう考えて、ワープロを打つ手が止まった。

 よしんば過去がそうだとしよう。問題は100年後、200年後、500年後だ。その時、この地で大規模文化祝典が開かれ、われわれのカンディンスキーやドストエフスキー、チャイコフスキーがいるのだろうか。今日、2014年の大韓民国の文化・創作・芸術・学界を見回すとため息が出る。

 それは、われわれに未来のトルストイがいないという絶望感のためではない。プーシキン、シャガール、メンデレーエフ候補はいる。問題は彼らが本業よりは“浮気”に没頭しているという事実だ。神から譲り受けた才能を不毛の砂漠に注ぎ込んでいる。憲法学者の趙某教授、女性作家の権某氏、鋭い評論家の陳某氏などがよい例だ。

 そばで見ると、その輝く才能ときらりと光るインスピレーションには驚かされる。しかし、本業に投入しなければならない彼らが大家ぶって、脇道の政治に首を突っ込んでいる。彼らが成し遂げた水準と業績は持って生まれた才能に比べれば「小成」だ。

 現実の不条理と不正、権力の横暴、政治・経済・社会的不平等の深化と足かせなどは、彼らをして、芸術、創作活動、学問にだけ没頭させてくれない、ということも理解する。

 ただし、すべてのことに時があることを知らなければならない。今はもう少し絵画、小説、詩、映画、学術を深く掘り下げるべきではないか。素人論戦に飛び込むことはない。権力の飴(あめ)を口にするなかれ。根源的な人間存在の問題、偉大な師匠たちが取り組んだテーマと格闘せよ。

 遠い将来、われわれの子孫が国際的行事で掲げられる優れた先祖たちの山脈を見上げて、嬉(うれ)しい悲鳴を上げるようにしたいものだ。

(曺炳喆〈チョビョンチョル〉客員論説委員、2月22日付)