北朝鮮 民心繋ぎ止めに躍起

正恩氏「人民の利益優先」
“経済三重苦”で国内疲弊

 北朝鮮がこのところ体制に対する民心離れを防ごうと躍起になっている。背景には金正恩朝鮮労働党委員長が住民に約束した経済発展に支障が生じた上、住民の生活苦が長期化する厳しい現実があるようだ。
(ソウル・上田勇実)

頼みの綱はトランプ氏?

 労働党はこのほど、10日の党創建75周年を前に日刊の党機関紙「労働新聞」と月刊の党機関誌「勤労者」による共同論説を同紙1面で発表した。タイトルは「人民のために滅私服務するわが党の偉業は必勝不敗だ」。前段部分では「わが党は人民の利益を最優先、絶対視してきた」などと述べたという正恩氏の発言が紹介され、随所に「人民のため」という言葉が散りばめられている。

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(AFP時事)

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(AFP時事)

 共同論説は正恩氏が今年実施した「重要な党の会議」での基本的な議題は「人民の命と安全、生活問題だった」とも指摘した。

 労働新聞は情報統制された北朝鮮住民でも普通に読むことができ、当局による宣伝色が濃く、内容の多くは国内向けメッセージだ。しかも勤労者との共同論説は「困難に直面するたびに体制引き締めと民心掌握を狙って出されてきた」(韓国メディア)ため、正恩氏が経済難克服へ自らを「人民のため」に働く指導者としてアピールしたものと言えよう。

 米格付け会社フィッチ・レーティングスの関連企業は今年6月、今年度の北朝鮮経済成長率をマイナス6%と予想した。「苦難の行軍」と呼ばれ、数百万人の餓死者を出した1990年代半ば以来、二十数年ぶりの低水準だ。

 北朝鮮は今年、経済三重苦に見舞われた。国内が疲弊し、民心離れを心配しなければならない状況にあるとみられる。

 核・ミサイル開発を受けて採択された国連安保理の対北制裁決議で、主要な収入源だった鉱物、水産物、繊維などの輸出が事実上ストップし、海外の出稼ぎ労働者による外貨稼ぎも公然とはできない状況だ。コロナ禍に伴う中国との国境封鎖は貿易量激減をもたらし、加えて異例の台風直撃など水害に見舞われ、農作物は深刻な打撃を受けたと言われる。

 すでに8月の党中央委員会総会で正恩氏は経済目標の達成失敗を認めていたが、今回、「人民のため」を強調する共同論説が党創建75周年を前に出されたのは、2016年に発表された国家経済発展5カ年戦略に沿った経済目標の達成をその日までに目指していたため、裏切られたと感じる民心をなだめる必要があったことも関係しているとみられる。

 米国の自由アジア放送(RFA)が消息筋の話として伝えたところによると、北朝鮮中部の平安南道殷山郡で先月、「党幹部を打倒せよ」と記された落書きが発見される騒ぎがあった。

 同筋は事件の背景として「住民たちは生活苦にあえぎ、商売もいろんな口実で制限されるのに、党幹部をはじめ権力者たちは腹一杯食べている。幹部たちに対する住民の恨みは積もり、それは首脳部(正恩氏)に向けた憎悪につながっている」と伝えたという。

 こうした住民の本音が正恩氏に直接報告されるとは思えないが、晩年、住民への食糧配給が途絶えた事実を一人だけ知らなかったと言われる祖父、金日成主席が「裸の王様」だったことへの反省から、正恩氏が住民の本音に敏感にならざるを得ない側面はありそうだ。

 ところで、正恩氏は今後の経済難打開に向け、今は「有事に備えた秘密資金の放出でしのげる」(北朝鮮消息筋)としても、それ以降はこれといった妙案を持っているとは考えにくい。

 そうした中、朝鮮中央通信によると、コロナ陽性判定を受けたトランプ米大統領に対し、正恩氏は「一日も早く全快することを願う」という内容のお見舞いの電報を送った。来月の大統領選でトランプ氏再選は見通せていないが、今なお正恩氏が見せ掛けの非核化と制裁緩和を交渉テーブルに乗せてくれたトランプ氏を頼みの綱にしている可能性はある。