格違いの日朝交渉体制 仕切り直し不可避に
どうする拉致解決 日朝ストックホルム合意1年(1)
昨年5月26~28日、スウェーデンのストックホルムで日本人拉致問題などをめぐり日本と北朝鮮が政府間協議をし、被害者再調査などに北朝鮮が取り組むことで合意してから間もなく1年になる。しかし、北朝鮮側からは調査結果に関し誠意ある回答は示されず、交渉は事実上の仕切り直しに入った。 この1年を振り返り、目立った成果を上げられずにいる背景や今後の課題を考えた。(編集委員・上田勇実)

昨年5月のストックホルム合意を受けて7月1日、日朝は北京で政府間協議を行った。代表は伊原純一アジア大洋州局長(左手前から4人目)と宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使(右手前から4人目)=北京の北朝鮮大使館(AFP=時事)
モンゴルの首都ウランバートルで昨年3月、日本人拉致被害者、横田めぐみさん=失踪当時(13)=の両親の滋さんと早紀江さんは、北朝鮮に在住するめぐみさんの娘キム・ウンギョンさんと面会を果たした。
面会をセッティングしたのは拉致問題対策本部。かねてからウンギョンさんに会いたがっていた滋さんの切なる思いがあって実現したものだが、 途切れていた拉致問題の日朝交渉を再開させる一つのきっかけにしようという思惑もあった。
面会場所にモンゴルが選ばれたのは、日朝両国のいずれとも友好関係にあり、秘密保持が比較的容易だったからだ。「政治的に利用されたくない」という早紀江さんの意向があり、面会ではめぐみさんの安否については触れられなかったというが、ある関係者は「数日に及んだ滞在でご両親 が何の感触もつかめなかったとは考えにくい」と指摘する。
この面会を「呼び水」とし、日朝は水面下でより本格的な接触を行うことになる。日本は両国外務省同士の公式ラインとは別に、首相官邸が主導して三つの非公式ラインを稼働させようとしたという。
一つは日本側が安倍晋三首相の側近、北朝鮮側が日本や韓国との交流事業を担当するアジア太平洋平和委員会の幹部のライン。また在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を介在した接触ルートもあった。これらを通じて最終的に形となって表れたのがストックホルムでの合意だ。
テレビを筆頭にマスコミは「拉致被害者が帰ってくるかもしれない」と期待論に溢(あふ)れたが、この合意には厳しい目も向けられていた。特に北朝鮮側が取らなければならない「行動措置」として挙げられた7項目で、拉致問題は5番目に記載されたことで、「北朝鮮の本気度」を疑う声が出た。
2002年の小泉純一郎首相訪朝をきっかけに帰国を果たした拉致被害者5人を当時、内閣官房参与として出迎えた中山恭子・拉致議連副会長は 先月26日比谷公会堂で開催された拉致問題に関する「国民大集会」で、合意発表時に抱いた思いをこう述懐した。
「この合意では北に監禁された拉致被害者の救出は主要テーマになっていない。拉致問題も合意の中に入れてあげたという付随的な扱いにびっくりし、あってはならないことだと感じた」
一方で、こうした見方には「過去の日朝交渉の経験からしても拉致問題を前面に出せば北朝鮮は交渉の場に出て来ない」(日朝交渉筋)という反論も聞かれる。
合意では、終戦前後に韓半島北部で亡くなった日本人の遺骨と墓地、残留日本人といわゆる「帰国事業」で在日朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡った日本人妻、さらには北朝鮮が拉致した可能性がある数百人に達する行方不明者という広範囲かつ膨大な量の問題について北朝鮮が「同時並行的調査」を行うことが明記されたが、実はすでに安倍首相の胸中では一つの線引きがなされていた可能性がある。
「帰国なり、最悪の場合でも遺骨引き渡しなり、政府認定拉致被害者12人の問題に決着をつけることができれば良しとするのが総理の本音だったと思う」。別の交渉筋はこう明かす。
ストックホルム合意発表(5月29日)から1カ月余りがたった7月1日、日朝は北京で政府間協議を行い、北朝鮮側は最高機関である国防委員会から全権を委任された特別調査委員会を立ち上げ、その責任者に秘密警察である国家安全保衛部の副部長、徐大河なる人物を起用したことを告げる。日本側はこれを「かつてない体制」(安倍首相)と評価し、日本独自の対北朝鮮制裁の一部解除に踏み切った。
しかし、北朝鮮との交渉事は合意後に難航するケースがしばしば見られる。北朝鮮は地政学上、周辺の大国と渡り合う必要に迫られた結果、交渉術に長(た)けている。数百人体制で対日工作を研究している北朝鮮に対し、日本の対北交渉部署である外務省の場合、アジア大洋州局の局長、そこに属する北東アジア課の課長とその北朝鮮班のメンバーを合わせてもわずか数人。ほとんどが朝鮮語を話せず、役人気質で「守り」は固いが「攻め」は 慣れていない。残念ながら「日朝では格が違いすぎる」(元外務省関係者)のが現状だ。拉致被害者を管理し、日本との拉致交渉を仕切っているのも、実際には保衛部副部長クラスが近づくことさえできない強力な組織であることが把握されているともいわれる。
北朝鮮がまた日本との合意事項を反故(ほご)にするのではないかという危惧が現実のものとなるまでにそんなに時間はかからなかった。