与野党でかみ合わぬ「集団的自衛権」
講演録 紛糾する安全保障論議
公益社団法人隊友会北海道隊友会連合会会長 酒巻尚生氏
戦後70年を迎え日本は大きな岐路に立たされている。中国の海洋覇権主義や北朝鮮の軍事優先政策が拡大する中、日本の防衛体制の構築は急務だが、国会は集団的自衛権のための安保関連法案を巡って紛糾している。安保関連法案を巡る与野党議論の問題点などについて公益社団法人隊友会北海道隊友会連合会の酒巻尚生(たかお)会長がこのほど、札幌モーニングセミナー(根本和雄会長)で講演し、その内容をまとめてみた。(札幌支局・湯朝 肇)
国益無視する野党/国民に覚悟求めない与党
集団的自衛権の行使及びそのための安保関連法案について私見を述べてみたい。
7月15日、自民・公明の政権与党は安保関連法案を強行採決して衆議院を通過させた。現在、参議院で議論されているが、集団的自衛権及び安保関連法案に対する与党と野党の主張は全くかみ合っていない。それは集団的自衛権に対する考え方がまったく異なっていることにある。例えば、野党は集団的自衛権のような国の将来を方向付けるテーマはもっと時間をかけて議論をしていかなければだめだという。一方、政府・与党は十分論議を尽くしたので採決して構わないという。ちなみに、通常の法案は合計して80時間も議論すれば採決となるが、集団的自衛権に関しては優に100時間は超えている。私はこの問題に関して、与野党が今後10年間国会議論したとしても深まるのか、といえばそうならないと考えている。そもそも国会での与野党の安全保障関連の論議は本質から外れている気がしてならないからである。
元来、集団的自衛権は国連憲章にも明記された権利であって、その行使は限定的ではなく、適正かつ完全に行使できるものであり、それは当然のことなのだ。それを日本はこれまで60年以上にわたって憲法解釈で行使しないと言ってきた。持てる権利を行使しないと言い続けてきたのは日本だけで世界から見れば異質な国だった。私は集団的自衛権の行使は必要に応じて行使されるべきものだと考えている。従って、集団的自衛権の行使を可能にする安保関連の法制度整備は当然必要である。
しかしながら一方において、国会内外の議論を見聞すると、各地で集団的自衛権・安保関連法案に対する反対集会が行われ、併せて政府の説明不足、対応の拙(まず)さが目立つ。しかも国会では内容の伴わない論議ばかりで、そのような状態で再度強行採決すればつまる所現場を預かる自衛官に全てのしわ寄せがいき、かわいそうだと感じてくる。そこで与野党の議論のかみ合わない原因を探ってみたい。
野党や反対派の人々は、「安保関連法の制定をなぜ急ぐのか、もっとじっくり時間をかけて議論すべきだ」という。私に言わせればむしろ「なぜ今頃になってしまったのか」と言いたい。わが国の安全保障に関する政策は日本国憲法制定以来、すべての「解釈」で進められてきた。要するに「憲法9条は自衛権を否定していない」と解釈してきた。かつて吉田茂総理は、当初自衛権を否定していたが、数年後、「自衛権を持つのは当たり前」というように解釈を変更した。自衛権がある以上、そのための自衛力保持は当然であり必要となってくる。そのための自衛隊が設立された。ただし「自衛隊は自衛のための必要最小限の力であって戦力ではない」というような訳の分からない解釈を70年近く続けてきた。この解釈にそろそろ終止符を打って、しかるべく安全保障を国家の政策の中に位置づけていくためには、どこかでしっかりと国家を挙げて検討しなければならない。それが今だと私は思っている。
日本の安全保障政策を真剣に考えるならば憲法改正が当然必要になってくる。しかし、今の国情をみると憲法改正は相当難しく時間がかかると予想される。改正までに20年、30年あるいは50年を要するかもしれない。そうであれば憲法解釈の変更で新たな方向を打ち出しても致し方ないと考える。
国会の議論を分かりにくくしている点を挙げると、一つにマスコミの報道がある。今年7月11日、朝日新聞が憲法学者209名にアンケートをした。その中に集団的自衛権行使容認と憲法の整合性について違憲か合憲かという質問がある。6月4日の3名の憲法学者が、衆議院憲法審査会で集団的自衛権は憲法違反であると明言した。それ以降、憲法学者・弁護士による反集団的自衛権の動きが活発になった。それは単なるムードになっているきらいがある。朝日新聞の調査では122名が回答したが「違憲」は104名、「違憲の可能性がある」が15名。すなわち数名を除いて全員が「違憲」と答えた。本当の意味で集団的自衛権の必要性に対する真摯(しんし)な議論よりも、マスコミはセンセーショナルな見出しを付けて連日報道し、単に憲法を盾に教条的に訴えている。国民が安保関連法案法を正しく理解するのが難しい状況をマスコミは作り出していると言える。
さらに国民の理解を難しくしているのが政府・与党の行おうとしている「集団的自衛権」だ。実は、政府が使っている集団的自衛権は、実は「モドキ」なのである。本来の集団的自衛権からは程遠い内容なのだ。ところが野党や憲法学者が捉え反対を訴えている集団的自衛権は、国際社会で捉えられているところの「集団的自衛権」だ。そもそも集団的自衛権の行使とは、同盟国が攻撃を受けたら一緒に戦って互いに助け合うということ。このため、状況によっては軍事力の行使が避けられないことも起こる。ところが、政府はそこまで腹をくくっているとは考えられない。新3要件という足枷(あしかせ)をはめている。そういう意味で政府の「集団的自衛権」はモドキと言える。一方、野党は国際上で捉えられている「集団的自衛権」を前提に話すので、そこに考え方の乖離(かいり)が生まれ議論がかみ合わない根本の原因がある。
もう一つは、与野党の議論の中で抜け落ちているのが、国際的な信用問題、国益をどう確保するかという点だ。とにかく憲法を守れ、違憲か合憲かという議論に終始する。例えば自衛隊の海外派遣について政府は恒久法制定の方向を打ち出した。これまでは海外派遣するたびに特別措置法を制定して派兵したが、それでは時間がかかる。タイムリーな支援となるためには、どうしても恒久法が必要であり、それが国際的な信用・信頼につながっていく。恒久法があれば、平素から防衛力装備やより充実した教育訓練ができる。ただ、恒久法の中で現場の実態にそぐわない項目がある。例えば後方支援では弾薬・燃料の補給を可能にしているが、恒久法では仮に戦闘が拡大しそうな恐れがあるとき、あるいは自衛隊の支援部隊が戦闘に巻き込まれそうになったら支援を中断して下がるか撤退すべし、となっている。条文にこんな文言を載せている国は一つもない。前線で戦っている他国の部隊は、このような制約をもつ自衛隊には支援してほしくないだろう。戦闘が拡大して武器・弾薬を補給してほしい時に後ろを振り向いたらいない。後方部隊は逃げてしまった、というような無責任なことでは国際的信用は得られるわけがない。
もう一つ例を挙げると、安倍政権では集団的自衛権について次のように語る。仮に朝鮮半島で戦争状態になり、そこで逃げ遅れた邦人の家族を米軍の艦船が救出する。米軍の艦船が敵国に襲われる場合、この艦船を守るために海空自衛隊が必要に応じて出動する。これは集団的自衛権の行使として当然のことと説明する。確かにそれは多くの国民も納得する話なのだが、その後に起こり得ることもきちんと説明しなければならない。すなわち、敵国の戦闘機が艦船を攻撃するので自衛隊機がミサイルを放って敵機を撃ち落としたとする。そうなれば、敵国は日本が宣戦を布告してきたととらえるだろう。すなわち、敵国は自衛隊あるいは日本本土を目標として報復攻撃してくる可能性がある。最悪の結果、国民に戦火が及ぶことも皆無とは言えない。安倍政権は日本が他国の戦争に巻き込まれることは絶対にないという。また、後方支援する自衛隊の部隊が危険にさらされることはないとも言い切っている。今、政治に求められている最も重要なことは、国家・国民の安全を守るために必要な策を講じ、その結果に関して国民に相応の覚悟を求めるだけの強い信念を持ち続けることではないか。国の安全保障を論議する場合、常に国家百年の大計を持って覚悟して議論していかなければならないということだ。
(文責編集)