米朝首脳会談開催に寄せて
北の日本疎外に動じるな
G7をトランプ「壮行会」に
ドナルド・J・トランプ(米国大統領)と金正恩(北朝鮮・朝鮮労働党委員長)が初めて顔を合わせる米朝首脳会談は、来る6月12日、シンガポールで開催されることになった。筆者は、候補地として報じられた都市の中では、板門店が「最悪」、ウランバートルが「次悪」、シンガポールが「次善」という評価を下してきた故に、シンガポール開催を歓迎する。
また、6月12日開催という日程は、トランプが直前のシャルルボワG7サミット(先進7カ国首脳会議)での議論の結果を受けて、シンガポールに乗り込むことになることを意味している。シャルルボワG7では、マイク・ポンペオ(米国国務長官)が披露した「恒久的、検証可能にして不可逆的な大量破壊兵器の廃棄」という方針を「西方世界」の総意として明確に打ち出すことが大事になるであろう。
日本としては、シャルルボワG7の場を実質上、シンガポールに赴くトランプのための「壮行会」に仕立て上げるぐらいのことを考えた方がよろしかろう。加えて、シンガポール会談の後、仮にトランプが東京に立ち寄り日米首脳会談が設定された場合、それはトランプのための「慰労会」の意味合いを持つのであろう。この「壮行会」と「慰労会」で安倍晋三(内閣総理大臣)が何をトランプに語るかは、「安倍・トランプ」関係の真贋(しんがん)を問うものになるであろう。
ところで、シンガポール会談開催発表直前、トランプは、イラン核合意からの離脱と対イラン経済制裁実施を表明した。トランプの対外姿勢を観察する上では、北朝鮮情勢とイラン情勢の「連関」に着目することが大事である。もし、シンガポール会談を含む米朝両国の対話の結果、金正恩が望む「体制保証」を含む合意が成ったとしても、トランプの次の政権が、それを引っくり返したら、どういうことになるか。
そもそも、「米国は約束を守る国である」という美徳に付け入りながら、自らは「約束を反故(ほご)にする」ことで得をしようとしてきたのが、従来の北朝鮮であるならば、イラン核合意離脱で「米国も約束を反故にすることがある」と示したトランプの対応は、金正恩に対しては、そうした「不確実性」の印象を植え付けるとともに、「恐怖」を与えているであろうことは、決して想像に難くはない。
相撲の喩(たと)えで言えば、「かち上げ」の技は、本来は下っ端の力士が使ったとしても、品位を重んずべき横綱が使うには相応(ふさわ)しくないものとされる。しかしながら、この「かち上げ」の技を横綱が使うようになれば、どういうことになるか。トランプのイラン核合意離脱の判断には、横綱・白鵬の「かち上げ」を思い起こさせる趣がある。
それは、「約束を守る」という「西方世界」諸国に共通した美徳に反する故に、そして中東情勢の緊迫化を招く故に、特に英仏独3カ国には不評紛々かもしれないけれども、北朝鮮情勢対応を考慮すれば、あながち「暴挙」とばかり評価すべきものではあるまい。
こうした北朝鮮を取り巻く東アジア国際政局の中で、日本が「蚊帳の外」に置かれていると唱える向きがある。北朝鮮政府も、そうした「蚊帳の外に置かれる日本」を演出しているところがある。たとえば、「朝日新聞」(電子版、5月12日配信)記事は、「全世界が来たる朝米(米朝)首脳会談を朝鮮半島の素晴らしい未来の一歩と積極的に支持歓迎している時に、日本だけがねじれて進んでいる」という「朝鮮中央通信」論評の一節を伝えた。
この一節に関して重要なことは、北朝鮮政府の対日姿勢が再度、明確に示されたことであろう。要するに、それは、朝鮮半島融和という「大勢」を強調しつつ、その大勢に従わない日本を批判するという姿勢である。東アジア国際政局での日本の「孤立」や「疎外」を演出することは、そのまま日本に対する圧力になるというのが、北朝鮮政府の読みであろう。
「村八分にされる」とか「蚊帳の外に置かれる」といった事態が、日本人が総じて嫌うものであるという定番的な日本理解に立てば、北朝鮮政府は、日本国内で「孤立」や「疎外」の感情を刺激することが対日戦略上、有効であると判断しているのであろう。この北朝鮮政府の判断は、定番的な日本理解の上に立っている故にかえって誤りを来しているけれども、北朝鮮政府は、「日本疎外」の言辞を今後もエスカレートさせていくのであろう。
実際、北朝鮮政府は、5月下旬に豊渓里核実験場の廃棄に係る式典を挙行し、その様子を海外メディアに公開すると表明したけれども、招かれたのは、米英中露韓各国の面々であって、日本は除外されている。これも、かえって意図が分かりやす過ぎるほどに露骨な「日本疎外」対応の一環であろう。
日本としては、「アジア大陸に接していても、その一部ではない」という姿勢に徹することが肝要である。(敬称略)
(さくらだ・じゅん)