日本文化と乖離した個人主義
NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之
敵対せぬ「私」と「国家」
家族主義的統治が日本の伝統
憲法13条の「国民は個人として尊重される」を疑わずして受け入れている不勉強な政治家が相当数現存しているのではないか。「個人を、何ものにも従属しない主体的で絶対的な存在である」と説いた「18世紀の個人主義」を、唯一最高の思想であると信じているようだ。勉強する余裕を持たない政治家だけではない。多くの評論家の中にも、18世紀以降の思想界の変遷に思いを致す柔軟な思考訓練が欠けているようだ。彼らが愛用する「国民主権」という言葉も、「何ものにも束縛されない自由な個人を主人公とする政治」だと、信じて疑わないようだ。
結果において、先進諸外国では考えられないことだが、「自分・私」と「国家・社会」とを対立させ、敵対させて、国民の意に反する方向に「一部の権力者」が政治を独占して誘導している、との被害者意識を扇動しているようだ。
日本国憲法こそ「国民の自由意志を踏みにじり、平和な市民の生活をないがしろにする『戦争』を永久に放棄」し、差別と偏見を撤廃して、基本的人権の尊重を謳(うた)った「平和、民主、人権」といった「崇高な思想に裏打ちされた世界に冠たる内容だ」と、最高位の称賛を浴びせているのが、左翼思想家諸氏ではなかろうか。彼らは、個人・私を最優先させることを「民主主義」とし、「歴史の否定」と「国家権力の弱体化」を求めた18世紀のフランス革命とアメリカ革命を、賛美するところで思考が停止しているようだと言えよう。
A・リンカーンは「国家の統一を求めて『国民の、国民による、国民のための政治』を確立すべきだ」と主張したのであり、J・F・ケネディは「国が何をしてくれるかを考える前に、国のために何ができるかを考えてほしい」との言葉を残しているのだが、フランス革命で停止している彼らには聞こえない。
われわれは、縦横の繋(つな)がりを取り外した後に残る「個人」ではないのだ。先人が守り維持・発展させた日本国の一員として生を受け、その文化の中で育(はぐく)まれてきたのが私なのだし、地域社会や諸外国に対する責任を背負った一員として現在も生存しているのだ。the peopleとして現存している「事実」をしっかりと認識して発言し行動してこそ民主主義社会は健全に機能するのだ。先人が歩んできた「民主主義の日本の姿」を真剣に考え直してほしいものだ。
戦争に負けた日本は、連合国軍最高司令部(GHQ)による人類史に例のない、長期にわたる占領政策の結果もあって、日本人の心を支えてきた、この伝統文化をことごとく破壊された。
アメリカを中心にした連合国の多くの人間は、対日戦争を経験して、自分たちには想像もつかない忍耐力で軍規を守り、統制の取れた日本軍に驚嘆の思いを禁じえなかったのだ。フィリピン戦線で部下を見放して逃亡した最高司令官D・マッカーサーが、これら高い精神性の根幹が日本文化にあり日本精神にあったことを、人一倍、痛く体験したことは今や周知の事実だ。
占領政策を確立するためにGHQがとった政策は、他国に例がないほど徹底してこの日本文化、日本精神を破壊することであった。
いずれにせよ、戦後史を見る限り、日本人自身の価値基準、判断基準を「日本ではないもの」に置き換えてしまい、伝統文化、日本精神が、進歩だの発展とは「相いれない忌まわしい思想・文化だ」と位置付けて、逆に日本ではない基準で「日本」を批判し、祖国日本をマイナス評価する機運が高まったまま今日に至っていることは悲しい現実である。
かつてフランスでは、いわゆる封建貴族の悪性や専制、独裁を打倒するために、暴力革命を起こしたが、その折に、「歴史は汚らわしい!」とボルテールが言い放ったと伝えられている標語が「自由、民主、人権」であったのだ。
しかし、『権利の章典』や『権利の請願』に明らかなように自由や人権を「個人の権利」と位置付けるのではなく、具体的な「先人」の血と汗によって築かれた国民の財産として位置付ける思想が、思想史には存在しているのだ。
わが日本では、いわゆる「家族主義的な統治構造」はあった。国と家とを一体化した「国家」という2文字に象徴されるように、フランス革命に見られるような「徹底した権力構造」とは本質的に異なる「一族の家父長制」が成立していたのだ。日本の社会には「対立関係は存在していなかった」と見るべきであるにもかかわらず、18世紀のフランスを範としてか、「汚らわしい歴史からの脱却」を唱える自虐的論調が、今も、日本人によって展開されているのは悲しい。
個人は神のごとき完全無欠な存在ではない。個人の意志と判断が善であるとは考えない。日本の政治は権力者の独走ではなく、多数の支持者を背後に持った「公人」によって運営されている現実をこそ直視すべきだ。
(くぼた・のぶゆき)