日米同盟を深める後方支援
集団的自衛権で検討を
中国に甘かった周辺事態法
第2次世界大戦による多大の戦禍は、世界の人々に戦争の悲惨さを体験させた。各国は平和への道を希求し、国連を創設し、集団安全保障を平和への道とした。集団安全保障とは、多数の国家が相互間で戦争その他の武力行使を禁止し、これに違反して戦争その他の武力行使を行う国に対し、その他の全ての国が集団で防止し、または鎮圧することである。
今や国連加盟国は193カ国に及ぶ。加盟国は国連憲章に基づき、国連軍に兵を差し出し、平和の維持、獲得のため戦う義務がある。憲章第43条は「国際平和及び安全維持のため、必要な兵力、援助、便益を安保理事会に利用させることを約束する」と規定している。さらに、第51条は「この憲章のいかなる規定も、国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合、安保理事会が国際の平和、安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的、または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と明示している。
しかし、日本とスイス2国は、加盟国であるにもかかわらず、集団的自衛権行使を禁じている。他国には、スイスは永世中立国で人口750万の小国であるため理解できようが、わが国は異端者と見られていよう。
昭和21年(1946年)、衆議院で、吉田総理は「自衛の名目で、多くの侵略戦争が行われた故に、自衛権の行使は認めない」と、所信表明した。これに対して、南原元東大総長は「国連憲章は各国の自衛権を承認するとともに、国連における兵力組織は、各加盟国がそれぞれの指揮下の兵力を提供する義務を負わせている。これらの権利と義務を放棄するならば、血と汗の犠牲を払って、世界の平和確立に貢献するという積極的理想を放棄することとなる」と反論した。
当時、日本は、米軍等の占領下にあり、殆んどの都市は廃墟と化していた。いわゆる「平和憲法」発布は同年11月3日である。吉田総理自身、内心忸怩たるものがあったであろう。翌年正月、求められ、「新憲法棚の達磨も赤面し」と色紙に揮毫している。経済重視の政策は吉田ドクトリンとして、「非生産的な防衛軽視」の風潮を醸成してきた。その結果として、残念ながら国民一般は「平和ボケ」で、米国の抑止力を過信し、自助意欲は低く、まして世界平和のために、献身奉仕の意思は低いと言えよう。
わが国の反戦平和運動は、内外情勢の変化、戦争に対する理解もせず、単純に「戦争は悪」との情緒的反戦である。外国の侵攻に対しても抵抗せず。また、集団安全保障のための自衛隊派遣反対である。政府は、国会での安全保障関連法規の審議に備えて、5月27日、次の3事態に分類し、15の具体的事例を与党幹部に示した。①「グレーゾーン事態」対処3例②集団安全保障およびPKO4例③集団的自衛権について次の8例。a邦人を載せた米艦の防護b武力攻撃を受けている米艦の防護c日本近隣で有事発生した場合の船舶検査d米国に向けて日本上空を横断する弾道ミサイルの迎撃e有事、近隣国が弾道ミサイルの発射準備に入った際の米艦防護f米本土が武力攻撃を受け、日本近隣で作戦する時の米艦防護g戦闘下の海上交通路での機雷除去hタンカー等の民間船が攻撃された際の国際共同護衛活動への参加。他に6月に入り自公協議で自衛権発動「新3要件」が示された。が、作戦遂行のため、重要不可欠な後方支援については、言及されていない。国会で野党議員から「後方支援の武力行使と一体性の原則」について、戦闘地域や後方支援の内容が不明との指摘があり、政府は、更に検討することを約束した。
顧みれば、湾岸戦争で日本は130億㌦もの巨額を支出したが、人的貢献を避けたため、「現金引き出し機」「戦友ではない」とまで非難された。政府も反省し、国連平和維持活動(PKO)等に関する法律を定め、PKOはじめ世界各地に自衛隊を派遣してきた。しかし、集団的自衛権の行使を禁じているため、武力行使を伴うPKO本体業務には参加せず、国連加盟国がPKOに派遣した軍の後方支援や民生支援のため道路建設等の構築に限定されている。
一昨年8月、本欄に「周辺事態法を再検討せよ」と題し、「日米ガイドラインに基づき作成された周辺事態法は、米国の中国に対する情勢見積もりが甘く、東アジアの安全と平和は、米、中2国で支配するとの構想すらもあったのではないか。そのためか、実行可能な日本の対応の検討が不十分である。日本は、集団的自衛権行使を容認したうえ、同法の見直しを提案し、日米同盟深化を図れ」との趣旨を述べた。
当時、アミテージ元米国務副長官ら超党派安全保障専門家グループは日米同盟に関する新報告書(第3次レポート)を作成、公表したが、集団的自衛権の不行使および後方支援と武力行使との一体性の基準について批判している。国内に、「中国、恐れるに足らず」の意見もある。単に尖閣防衛だけであればそうかもしれないが、米国の支援なくして日本の防衛は成立しない。現日本の国力では「戦争巻き込まれ」を恐れるより「米国の巻き込み」を重視し、日米同盟の深化に努力すべきであろう。
(たけだ・ごろう)