冷戦の真実も認めるべきだ 外国報道機関も語り継ぐ責任

山田寛

 「また政権に物を言えない国になるのか」

 3月1日、モスクワで、前々夜暗殺された野党指導者、ボリス・ネムツォフ氏の追悼デモが行われた。その参加者のつぶやきだ。

 同氏は「プーチン大統領はウクライナにロシア正規軍がいないというが、嘘(うそ)だ」との報告の公表を準備していた。捜査当局は、容疑者逮捕を発表、氏が仏週刊紙へのテロを非難したため、イスラム教徒に殺されたとの情報を流した。だが、当局は先(ま)ず被害者宅を捜索、問題の報告資料が入ったパソコンを押収したとか。事件の真相はまた闇の中だろう。

 ロシアでは近年、政権批判の記者や政治家、元諜報(ちょうほう)機関幹部の国外亡命者などが暗殺されている。いつも背後関係は闇の中である。

 ウクライナ介入、暗殺。ロシアがソ連に回帰していくようだ。

 暗殺と言えば、30年前パリで会った、コストフ氏というブルガリアからの亡命者を思い出す。冷戦時代の同国は、ソ連に最も忠実な弟分で、「ブルガリアの雨傘」で知られていた。秘密機関(DS)が、西欧にいる自国の反体制派や亡命者を、猛毒弾を仕込んだ“恐怖の雨傘”で、暗殺していた。

 彼はそのDSで工作員を10年務めたが、ソ連の絶対支配が嫌で亡命した。

 すぐ雨傘弾を背中に撃ち込まれたが、奇跡的に助かった。私が会ったのはその8年後。まだ街中では周囲に十分注意していた。印象的だったのは、元工作員的灰色ムードを漂わせた彼が、こう打ち明けたことである。「秘密機関という『国』を捨てたが、心はまだそこに引きつけられたままだ。何しろ、興味津々の人間的冒険の世界だから」。

 殺されかけた亡命者も、雀(すずめ)百まで、共産主義体制の諜報謀略機関の踊りを忘れず、懐かしむ。ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン氏も、KGB意識が染みついているのだろう。ソ連は、「静かな第3次大戦」東西冷戦のリングでKO敗けした。しかし、プーチン・ロシアは、KO敗けの歴史の反省など全く忘れたように見える。

 冷戦で判定負けし、市場経済を導入した中国は、先月から「まだ真実を認めたがらない者がいる」(王毅外相)と、第2次大戦後70年の反日大攻勢を開始した。「判定負け」への自己批判はない。共産党1党支配の国に、自らの歴史の反省は期待できない。

 となると、冷戦時代の真実を語り継ぐのは、外国の報道機関や歴史家の仕事だろう。ところが先月、NHKを観(み)て驚いた。「ザ・プロファイラー」という歴史番組。1970年代のカンボジアで、内戦に勝って政権を握り、国民を大虐殺したポル・ポトを扱っていたが、一貫して最大の後ろ盾だった中国に、ほとんど触れない。内戦時の統一戦線結成も、黒子の中国のチの字も言わず、政権が打倒された後の第2の内戦で、ポル・ポト派を支援した国として、米英仏だけを挙げた。

 一方、同政権を打倒したのはベトナム軍の侵攻なのに、「クーデターだ」と不思議な説明をし、ベの字も口にしなかった。

 中国に支えられた暗黒革命、ベトナムのカンボジア侵攻、中国の仕返しの中越戦争。大虐殺と共産主義兄弟の仁義なき戦いが、共産主義への世界的幻滅につながり、冷戦終結の遠因ともなったのに、なぜ今こんな歴史修正をするのだろう。ポル・ポトだけを異常者とし、あと共産主義国の負の歴史は隠したいのだろうか。もしそうなら、民主主義国の公共放送番組として、歴史への責任放棄でしかない。

(元嘉悦大学教授)