文明史視点から憲法論議を
憲法改正
大阪国際大学名誉教授 岡本 幸治氏に聞く
憲法改正を目指す自民党の日本国憲法改正草案について、日本近現代政治史・政治思想が専門の岡本幸治氏は、日本占領下にアメリカの文明観に基づいてつくられた現憲法の枠を出ていないと批判する。文明史的視点からの憲法論議を提唱する岡本氏に話を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
近代憲法の欠陥克服へ
伝統から指導理念発掘
文明史的視点とは?

おかもと・こうじ 専門は日本近現代政治史・政治思想。1970年代に1年間、国立ネルー大学(JNU)で日本について講義。以来、日印友好協会理事長や21世紀日本アジア協会理事・事務局長を務めながら、日本民族の特性に着目し、文明的視点からの政治批判を展開。著書に『インド世界を読む』『北一輝』『脱戦後の条件』など多数。
文明の根底にあるのが文化で、民族や国家を含め一定期間存続した集団には、自然環境(風土)と社会環境(歴史)によって形成された独自の文化がある。文化は核心に「人間の生き方」についての価値観を含んでいる。文化とはある民族や集団の「生き方(の様式)」と言っていい。
人類の文明史は大きく三つ、「前近代」と「近代」、「現代(21世紀)」に分けられる。前近代は、個人の運命は人間を超えた強大な力を持つ存在によって左右されるので、「大いなるもの」を敬い、畏(おそ)れ、それに従って生きる時代であった。
「大いなるもの」とは、まず「自然」で、そこから神や仏、天を崇(あが)める宗教が生まれた。宗教は地球上のあらゆる動物の中で人間のみが所有する文化で、素朴な自然崇拝から始まった宗教的心情は、人知の発達に伴い、独自の教義や様式を備えるようになり、その一部が世界宗教に発展していった。異なる環境で生まれた宗教は、信者を獲得し組織として発展すると、次第に人々の生き方に大きな影響を及ぼすようになる。
政治史ではどうか?
人間世界にはもう一つ日常生活を支配する「大いなるもの」が存在した。それが政治権力で、しばしば宗教的権威と合体し、中国の帝権天命説やキリスト教世界の王権神授説のように、地上の権力者は神(天)の委託に基づくと主張した。前近代は「大いなる権威・権力によって私は生かされている」という価値観が一般的であった。
近代は前近代に対する批判・反動の時代であった。西欧で起こった17世紀の科学革命は、人間のみが持つ理性によって事の是非を定めるのが最善であるという考えを生み出した。フランス革命は、理性的判断によってアンシャン・レジーム(古い反動的な体制と価値観)を破壊し、理想的な国家を人工的につくろうとしたのである。
革命の対象となったのは中世を支配した絶対王政とそれを支えるカトリック教会であった。これらの伝統的制度と価値観に代わるものとして主張されたのが、「人は生まれながらにして自由かつ平等である」という天賦人権説に立つ個人主義である。
人間の生き方について言えば、前近代が「大いなるもの」によって「生かされてある」という受動的価値観を強調したのに対し、その反動として、もっぱら「(自由に、思いのままに、いかなる権威・権力にも妨げられることなく)私は生きる」という能動的・主体的な生き方が、あるべき価値とされたのである。
憲法学で言えば、成文憲法を作り、その中でこれらの権利を手厚く保障するのが近代憲法の本質であるという考えは、ここに始まる。東大法学部の主流派は、発足以来、欧州の大学に留学して学び取ったこのような近代的価値観を解説・輸入・教育する文明開化の代表施設であった。敗戦後米国による占領下に置かれた日本の学界では、万事「西洋化」「米国化」が進んだ。
このようにして憲法学の世界では、西欧近代のみが普遍的であるとの考えになった。占領下の昭和21年2月、マッカーサーの指令によって民政局が1週間で作成した日本国憲法の原案は、国会で民政局に許された条文のみが部分改正されて成立したのである。
憲法を含むあらゆる法律の条文は、時代の変化や価値観の変遷に対応して変化しなければならない。人間世界は変動するので、それに伴い憲法や法律も、新たな環境とあるべき理念や政策に対応して改変すべきである。
例えば、日本と同じ敗戦国ドイツの憲法は既に60回以上改正されている。ところが、日本国憲法は制定以来一字一句も改正されていない。
個人主義から派生した利己主義が過剰になり、共同体が軽視され、社会を支える精神的基盤が衰退してくると、理性がつくり出した近代社会が、次第に安心して生きていけない状況になりつつある。禁欲や勤勉で発展した資本主義も、今や「欲望資本主義」の競争社会に変質し、弱者に対する「思いやりの精神」や「助け合いの精神」を欠いた世界になりつつある。
人間の諸能力の中で情緒や感性に由来するものを軽視し、理性に基づく自己主張や自己拡大、そして果てしない競争を善とする近代文明の浸透の先に、互いに信頼し助け合う、相互扶助の心配りが豊かな社会の実現を期待するのは難しい。
ではどうすればいいのか。
答えは「反動回帰」ではなく、「止揚前進」にある。歴史の大転換期においては「復古革新」の明治維新を断行し、民族生命の活性化に成功してきた日本の歴史と知恵に学び、前近代、近代の持つ問題点を踏まえつつ、その長所を生かす方策を考えることである。
人間の生き方で言えば、「われ勝ちに生きる」近代の競争理念から、「人の間で生きる社会的生物」である人間の在り方に立ち返り、「生かされてあることに感謝して・生きる」こと。その基本的価値観を文明の根底に置くことが、現代の課題なのだ。
この価値観は、先人たちが残してくれた日本文化には豊かに内蔵されていながら、薄っぺらな近代主義者が跋扈(ばっこ)した戦後体制の下では、無視・軽視されてきたものである。
日本の長い伝統の中から21世紀の指導理念を発掘し、それによって近代憲法の欠陥をも克服する。そうした文明史的視点から憲法改正の議論も行う。アメリカ占領軍から頂いた「戦後」を乗り越え、新しい文明の時代を先導するという基本理念に立脚して、新憲法をつくる覚悟がなければならない。





