『精霊の守り人』を英訳して

児童文学翻訳家 平野キャシーさんに聞く

わが子が喜ぶ本 米国にも

 日本の児童文学作品の英訳をしている香川県高松市在住のカナダ人、平野キャシーさん。子育ての経験やバハイ教(19世紀半ばイランでバハオラが創始した一神教)の観点から、世界の子供たちに日本にある素晴らしい本を読んでもらいたいと思い、児童文学の翻訳に取り組んでいるという。高松市の自宅で話を伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

ハートこそ一番大切
普遍的価値持つ思いやり

バハイ教との出合いは。

平野キャシーさん

 ひらの・キャシー 1957年カナダ生まれ。12歳でバハオラの教えに触れ、20歳の時に来日し、国際基督教大学で文化人類学を学び、卒業後は土木会社で翻訳に携わる。その間、児童文学の翻訳も手がけるようになり、東京バハイセンターで出会った建築家の夫と結婚し、子育てのため高松市に移住。荻原規子の『空色勾玉』、湯本香樹実の『夏の庭』や上橋菜穂子の『精霊の守り人』などを英訳した。

 12歳の時、バハイ教に出合った友達に教えてもらったのです。私の家は英国国教会(聖公会)で、家系にはイギリスとアイルランドの血が入っています。当時、ずっと疑問だったのは、北アイルランド問題でテロが頻発していたことです。カトリックとプロテスタントとの対立でもあり、神父に聞いても納得できる説明はありませんでした。

 ところがバハオラは、「宗教は愛と和合のためにある。それを敵意と不和の原因にするな」と言い、宗教は昔からの一つの流れで、時代や社会的な教えの違い、人間個々の解釈によっていろいろな宗教に分かれてはいるが、根源と目的においては一つであるとし、人種差別やナショナリズムを否定し、諸民族の融和を強調しています。その教えにすごく納得したのです。

日本に来るようになったのは。

 高校を出て家具作りの大工になろうと思い、職業訓練校で10カ月間かけて大工全般を習い、自然歴史博物館で展示物を作る仕事に就きましたが、あまり将来性はありませんでした。

 バハオラの教えに「地球は一つの国で、人類はその市民である」とあるので、カナダで大工の仕事を続けられないのなら別の国に行き、人類は本当に一つなのか確かめたいと思うようになりました。

 ちょうどそのころ、フランスに音楽留学している日系人の友達から手紙が来て、「日本に一緒に行かない」と誘われたのです。彼女の父親が医者で京大に招かれ、夫婦で京都に移住していました。「一人では心細いので一緒に来てほしい」と。そこで、日本からこの冒険を始めてもいいと思ったのです。ところが、渡航直前になって彼女が「やっぱり行かないわ」って。結局、彼女はカナダに帰って私の親の家に住み、私は日本に渡って彼女の両親のお世話になることにしました。

 20歳で来日し、京都で1年半くらい暮らしました。1年くらいで日本語をマスターし、次の国に行こうと思っていたのですが、もっと日本と日本人を理解したいと思うようになり、国際基督教大学(ICU)で文化人類学を学ぶことにしました。日本にはカナダとの共通点もありますが、違いも大きく、人間の違いには文化の違いが大きいので、日本文化を勉強しようと思ったのです。学んだのは柳田國男など近代の民俗学者で、古い日本語を読むのが大変でした。

 卒業後、両親の願いで一旦帰国したのですが、飛行機から降りた途端、私がいるべきなのはここじゃないとすごく感じたのです。カナダでは日本での経験が生かせる仕事もなかったので、日本に戻ることにしました。

翻訳を始めたのは。

 大学の恩師の紹介で土木会社の試験を受け、カナダで大工をしていたこともあって、英訳の契約社員として就職が決まりました。国際協力機構(JICA)や世界銀行など海外のプロジェクトが多いコンサル的な会社で、ダムや水力発電所、灌漑(かんがい)設備などの計画書や報告書の英訳です。

高松へ来たのは。

 東京のバハイセンターで出会った夫と結婚して子供ができ、地方都市で子育てしたいねとなり、夫が高松の設計事務所に転職したのです。当時はバブル時代で、建築設計士の夫は帰りが遅く、週に2~3日は会社泊まりでした。私一人で子育てするのは二人とも嫌でしたから。

 私は土木会社を2年余りで退職し、高松で子育てに専念していたのですが、元の会社から依頼があり、少しずつ英訳の仕事を再開しました。東大が出版した黒部ダムの分厚い建設記録書の英訳もしました。また、福武書店にいた大学の先輩から声が掛かり絵本の英訳も始めました。

児童書の翻訳をしようと思ったのは。

 家で育児をしていたので、子供に本を読み聞かせしながら英訳を練ることができ、こんなに楽しい仕事はないと思いました。最初は絵本の英訳で、短いから、できる時間にしていました。荻原規子さんのファンタジー『空色勾玉』(福武書店)が日本児童文学者協会新人賞を受賞し、担当していた先輩の依頼で、同書のサマリーと1~2章の英訳サンプルを作るとアメリカの出版社が出すことになり、英訳したのが最初です。

 降ってきた仕事をやってみたら面白かったし、子供がいることもあって意義をすごく感じました。自分の子供が喜ぶ本を、他の国の子供も読めるようにしたいと思ったのです。

児童文学の翻訳にやりがいを感じますか。

 もちろんです。違う国、違う文化の思考で書かれた文学を読むと、自分の知っている世界とは違う世界を疑似体験ができ、視野がぐんと広がりますから。子供の頃から違う世界に接することは、成長にとってとてもいいことだと思います。

 同時に人間にとって一番大事な心の部分、思いやりや友情など、共通している部分を見出し、感じることができます。

 ただ、日本語を英語に訳するときに責任を重く感じることも多いです。英訳は他の言語への翻訳の基にもなることが多いからです。

日本の昔話は「舌切り雀」や「こぶとりじいさん」など、深読みすると怖い話です。

 グリム兄弟が編纂(へんさん)したドイツのメルヘンも、かなり怖い話があります。人間が行き過ぎるとどうなるかという道徳的、倫理的な戒めが含まれているからで、昔話には人間の普遍性を感じますね。自分のわがままな気持ちを乗り越えてがんばった結果、よかったという話もあります。