東海道五十三次を世界遺産に
街道町おこし
街道文庫店主 田中義巳氏に聞く
北品川辺りは、東海道をそのまま残した形での商店街が続く。その一角に街道に関する書籍3万冊を集めた街道文庫がある。「東海道五十三次を世界遺産にする」ことで町おこしを図ろうとしている田中義巳氏がつくった文庫だ。街道文庫店主の田中氏に、街道文化とその魅力を聞いた。
(聞き手=池永達夫)
8割がまだ現存
江戸型おもてなしの一里塚
街道に関心を持ったのは?

たなか・よしみ 1950年、大分県生まれ。福井大学卒業後、江戸川区役所勤務。31歳でマラソンを始め、同時にトライアスロン、ランニング登山、XCスキー、カヌーなど耐久スポーツに挑戦。自称マルチ・エンデュランナー。共編著「ジャーニーランのすすめ―東海道五十三次の走り方」(窓社)。
公務員時代、ジョギングが趣味だった。街道を初めて意識したのは、1983年年末から翌年初めにかけて、日本橋から京都三条大橋まで東海道を走ろうと思い立ったことがきっかけだ。
その頃はトライアスロンなど始まった時代で、私もマラソンで米大陸横断をやりたいと思った。その足慣らしということで、取りあえず東海道を走ってみようと思った。
結局、米大陸横断は2度チャレンジしたが果たせていない。だが以後、東海道の魅力にどっぷり漬かることになる。
東海道の何に引き付けられるのか?
歴史に詳しいわけでもなかったし、最初は何も分からなかった。ただ東海道の道路マップを持って国道1号線を走った。だが、国道1号線というのは人が走るための道路ではない。段差があったり、迂回(うかい)させられたりと、大変な目に遭った。
ただ、国道でも大磯など松並木があったり、国道から派生するいい道があって、それが旧東海道だったりした。
それで昔の道が残っているのだったら、そこを走っても面白いと思った。実は東海道の8割方は残っている。
それで次には、旧道を探して走り、結局、一人で4回ぐらい、東海道を走った。それでますます、交通量が少なく、名所・旧跡がある街道に魅力を感じるようになった。
江戸幕府は街道に一里塚を造る。
一里塚も面白いテーマだ。ローマが造ったアッピア街道などには、マイルストーンがあるが、ただ石を置いているだけ。江戸時代の一里塚は、四方9メートルで石に腰掛けて休めるようになっており、塚には榎など大木を植えている。榎は夏には木陰になるし、実も付けて甘いスイーツを疲れた旅人に提供もした。江戸型おもてなしの世界がある。
品川に拠点を置いたのは?
東海道の起点は、日本橋だが日本橋は東海道をてこに町おこしを図ろうとしていない。その点、北品川は品川宿を生かした街づくりに熱心に取り組んでいる。その一端を担えればうれしい。さらに言えば、東海道五十三次を世界遺産にしたい。
そのためにはもっと東海道五十三次を整備したり、多くの人に歩いてもらい認知度を高めていく必要があると思うが、参考になるところはあるのか?
最近、スペイン「サンティアゴ巡礼の道」を歩いて、その歩行支援システムから学ぶべきところはいっぱいあると気付いた。
スペイン巡礼の道は、毎年、歩く人が増えている。その人々の実態も正しく把握されている。どこからスタートし、どこから来たのか。いつ、歩いたのか。何人歩いたのか。それらの統計がしっかりしているため、必要な宿泊施設のベッド数なども把握されている。
道路整備も古代からの歴史の道を尊重しながら、より安全な道、歩きやすい道を新しく整備している。
歩く人(巡礼者)にとって、非常に分かりやすい歩行者支援システムがつくられているため、歩く苦痛よりも楽しさの方が数倍上回り、また来たいと思う旅を続けることができる。
道は8割程度が未舗装道路で、車道と交差する場所も非常に少なくなっている。
巡礼の道は目的地がはっきりしていることもあり、道しるべや方向指示も多く、数キロごと街には食事のできるバルや宿泊施設アルベルゲもある。
雨が降ればぬかるむこともあるが、歩きやすい土の道路で大部分が整備されており、遠くから見える丘の上の街や広大に広がる麦畑やブドウ畑、トウモロコシ畑、ジャガイモ畑など景観の素晴らしさもあり、一度歩くとまた来たくなる街道だ。それらの点からも、江戸時代の旅の疑似体験ができるところだ。
巡礼先のガリシア州に入ると道しるべに残りの距離が、0・5キロごとにあって、ゴール間近を実感できる励ましの道しるべだ。
東海道でもこれに近い歩行支援システムを構築できれば、より多くの人がより楽しい街道歩きを楽しむことができると思う。そうすることで各宿場もより潤うことになる。
現在、街道歩きの人々は急激に増えているが、残念ながら宿場の人々との接点が少ないのが現状だ。
東海道で昔の人たちはどういった旅をしていたのか?
江戸時代を通じて江戸と京都・大坂間の東海道の旅は、徳川幕府の駅伝・宿場制度により、現在よりも快適な徒歩旅行が保障されていた。自分の脚だけを頼りに1日に8里から10里(30~40キロ)の道のりを歩く旅は大変だったが、馬や駕籠(かご)、渡し船の利用も可能だった。
ほぼ2里前後には宿場があり、宿場間が長い場合には間の宿もあった。食事や休憩の場にもなった。1里ごと程度には、馬子や駕籠かきの休憩所でもあった立場(たてば)茶屋もあった。
現在の東海道歩きの旅人は、便利な世の中になり、至る所にある自動販売機で飲み物、コンビニでは食べ物・飲み物のほか、日用雑貨から衣類・救急用具まで入手できる。
こんな旅は本当に味気ないつまらない旅になってしまっている。昔のように旅籠(はたご)や茶屋が至る所にあり、宿場宿場で地域の人々とほんの小さな触れ合いがあれば旅は一層楽しいものになる。
近未来に取り組もうとしているのは?
「品川宿の絵地図・マップを作る会」を立ち上げたい。
東海道品川宿は、天下の街道第一の宿場だったこともあり、東海道分間延絵図や江戸名所図会、名所江戸百景、江戸切絵図などのさまざまな地図や浮世絵に描かれている。これらの既存資料を精査・検討して明治以降の縮尺の明確な地図に再構成して、より分かりやすい、より楽しめる時代別の品川縮図を作りたい。





