創造的価値の付加こそ仕事
作業と仕事の違い
ホスピタリティバンク研究所代表 浦郷義郎氏に聞く
銀行マンや会計士、弁護士、行政書士といった侍ビジネスは、これから10年の間に8割以上なくなるというホスピタリティバンク研究所の浦郷義郎代表に「作業と仕事の違い」を聞いた。
(聞き手=池永達夫)
先細りの侍ビジネス
銀行マンや会計士、弁護士
浦郷氏の近著「ホスピタリティの教科書」では、頭に老舗論が出てくる。

うらごう・よしろう 早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了後、1978年チューリッヒ大学留学、80年亜細亜大学経営学部教授。86年同大学経営学部長・理事、そのほか学会や行政機関等の役職を経てホスピタリティバンク研究所代表。著書に「わかる!使える!ホスピタリティの教科書」「ゼロ距離マーケティング なぜ、あの会社はリピーターが多いのか?」など多数。
老舗というのは100年以上続いている店だが、日本では2万軒程度残っている。
中には1300年続いている老舗がある。石川県小松市の旅館「法師」の創業は、粟津温泉の開祖・泰澄により西暦718年。今年、ちょうど、1300年を迎える。
「法師」の女将に一度、話を聞いたことがあるが、「おもてなしの精神をお伝えし続けてきただけだ」との言葉が印象に残った。
海外では、欧州でも、せいぜい二、三百年の歴史だろう。
国際的な老舗組織として、エノキアン協会というのがある。経団連の入会資格が純資産10億円以上など一定の規模が必要とされるのに対し、エノキアン協会は創業200年以上の歴史ある老舗企業のみが加盟を許される経済団体だ。エノキアン協会は仏パリに本部がある国際組織で①創業から200年以上の歴史があること、②創業者の子孫が現在でも経営者もしくは役員であること、③現在でも健全経営を維持していること――などが加入の条件となっている。老舗企業の親睦を通じて、企業の在り方を考える団体だ。
その中でも1000年以上も続く老舗があるのは日本だけだ。
だからすごいことなのだ。
儒教文化では商売というのが下に見られ、早く儲(もう)けて商売から離れ、余生は静かに書を読む文人として過ごすというのが美学としてあるように思うが、日本は違う。
日本は神様、仏様が基本にある。仏具店が長く続いているとか、神様に奉納する酒だとか、巡業に行くための旅館だとか、そのあたりの産業が発展した。建設業も元来、木造の寺社仏閣を造る宮大工が原点にある。
建築業の老舗では金剛組というのが一番古かった。ただ、バブル破裂でつぶれて、大阪の高松建設に買収された。
津波のように経済社会を破壊する波状的バブルをもたらす資本主義自体に、ゆがみがある?
資本主義というのは常に拡大とか持続的成長を求める。
しかし、持続的成長が限界に達して、難しい時代になってきた。金利が一番よくそれが表れていて、銀行に預金しても金利が付かない時代になった。
私は作業と仕事を区別している。与えられた課題をこなすのが作業だ。仕事というのは、今までのやり方に創造性という付加価値を付けて、短時間でやったり、もっと相手に喜ばれるようにする。その付加価値が付いた時、初めて仕事になる。
現代人の労働問題は、仕事をしていないことにある。銀行にしたって、業務の多くが作業だ。
銀行マンや会計士、弁護士、行政書士といった侍ビジネスは、これから10年の間に8割以上なくなる大変な時代を迎える。
これらの多くは、皆作業だけの業務だからだ。しかし、代行手続きの作業は、皆コンピューターでできる。情報処理だけの業務というのは、人手がいらなくなるからだ。税務処理だって、会計ソフトを使ってネットでできる時代だ。労務管理も、みんなソフトで管理できる。社員が何千人もいる給与計算でも、ソフトに情報入力すると皆出てくる。
会計学者と議論することがあるが、数字をいじっても過去のデータは意味がない。数字なんてどうでもなる。食事をしても、会議費で落とすのか、交際費で、福利厚生費でやるのか、どうにでもなる。粉飾は可能なのだ。
そうした数字のゴマかしではなく、「人の問題」こそやらないといけない。データ処理では駄目だ。
弁護士もそうだ。かつて日本の弁護士は2万人。米は50万人、ドイツは10万人。国際化するとトラブルも増えてくるということで、弁護士を増やそうとした。しかし、日本人というのは争いごとを好まない農耕民族の血が流れている。話し合いで、まあまあと収めてしまう。
先日、行政書士対象のセミナーで「これからあんたたちの仕事は何がある? せいぜい、不法滞在のビザの更新ぐらいだろう」と言って冷や水を浴びせてきたが、侍ビジネスは厳しい現実を直視しないといけない。世の中、とにかく変わる。
証券会社なんて、一昔前までどこの駅前にもあったが、今は消えた。個人は、皆ネットで株取引するようになったからだ。
今まで人間が関わって集めていた情報やデータとか、人間の手を介さずに集められるようになる。だから第4次産業革命というのは、働き方だけでなく生き方や価値観まで変える可能性がある。
それでも、最後に残るのは人間。その人間力を核としたしっかりした社会をつくり上げないと、とんでもないことになる。
どうしても人間にとって代われないものがある?
感情であるとか、善悪の世界だとか、精神的なものは無理がある。
まもなく、AI(人工知能)が多くの職場で活躍する時代を迎えるとの観測があるが、ある程度の作業代替はできるだろう。しかし、その中に心があるかどうかの問題が残る。
AIで不合理を排した最強なものができるかもしれない。しかし、その中に心がなかったら、「砂漠の中に住む人間」になってしまう。
われわれはただ給料だけのために、働いているわけではない。人間というのは、アリストテレスが言うように「社会的動物」だ。家族や仲間など、他者とのつながりの中で生きがいを見いだす存在でもある。
いくら金があっても、家族も友人もいない天涯孤独の中で一生を終えて、幸福と言える人はいないだろう。そうした意味でも、21世紀は本質的な喜びや感動を追求するようになる「心の時代」とならざるを得ない。